わたしとみすゞとデビルマンと
2010年2月21日
なんでもそうだが、初めての印象が否定的なものになってしまうと、それから先にそれに対して良い印象をもてなくなるということは世の中にとても多いと思う。
たとえば食べ物などで、初めて食べたものが不味いものであったりするとそれから先はその食べ物が嫌いになることが多いし、人間も第一印象が悪くてそれをずっと引きずるということも多々ある。
同様に、私が今まで「詩」を読むことが無かったのは、世間に溢れる、読んでいて恥ずかしくなるような、それを読んでいる行為自体が恥ずべきものであると感じさせるような、自己に対する顕示欲と憐憫と陶酔ばかりの「痛ポエム」ばかりに触れていたせいであったと思う。
しかし最近、茨木のり子の『詩のこころを読む 』を読んで、素晴らしい詩に沢山触れてからこの詩にたいする認識が明らかに変わり、詩の本を買って読むことが多くなった。
詩といえばなんとなく「ゆるい」イメージであるが、実はとても深ーい認識が根底に流れていて、それが美しくて短い言葉で繰り出される芸術なのである。
金子みすゞ『わたしと小鳥とすずと』 などの場合はほんわかした言葉の中に重くて深い存在感があるし、茨木のり子『倚りかからず』 などは明らかにピリッとした孤独で孤高な女性像を感じる。
詩といったって、まったりとお花畑や草原に座って詠まれるようなものばかりではなく、命を削って唱えられるメテオやメガンテの呪文のようになかなかにハードでタフなのだ。
だからとって、金子みすゞの可愛らしい装丁の童謡集を、山田花子『自殺直前日記』 、上山和樹『ひきこもりだった僕から』 、『ヘビトンボの季節に自殺した5人姉妹』 、『デビルマン』 なんぞと一緒に買うのはいかがなものかと思うぞ。