量子、光子、陽子というと女の子の名前やと思う
最近、コンピューター→C言語→CPU、メモリ→半導体と興味が移ってきた訳やけど、そこから明らかに極端な飛躍として現在の半導体やらなんやらを設計する基礎となっている量子論に興味がわいてきた。
今まで俺が持っていた量子論、あるいは量子力学の知識と言えば「光、電子は波の性質と粒子の性質を持つ」てなところ止まりで「シュレディンガー方程式、プランク定数」てな言葉を知っているだけで「だから何?」と言う感じやった。
それでは殆ど何も知らないのと変わりなく、まぁ概要の概略でも理解したいなぁ。というわけで、楽天で落札した本を取りに行った古本屋で「量子論」に関係した捨て値の古いブルーバックスを二冊買い叩いてきた。
今更量子論と相対性理論とは古くさいにも程があるような気もするけど。
『相対性理論の世界』ジェームズA・コールマン 『量子力学の世界』片山泰久
どちらも昭和40年代初めに初版が出ているにもかかわらず今でも売られていると言う事はかなりのロングセラーと言っても良いやろうと思う。どちらかと言えば定番の本に入る部類か?
ブルーバックスというと高校まではよく読んでいたけど、本読みの傾向が一変してからは、理系コンプレックスだとか文系純粋培養な人間が読む、科学的な知識を「解ったような気になる」類の本やという偏見が何となく出てきて今まで敬遠していたところがある。
しかしながら、量子論をちゃんと正確に理解しようなどとも理解できるともこれっぽっちも思っていないので、こういう概要の概略入門てな用途にはブルーバックスは最適かもしれない。
量子論を理解するにはその先駆けとなった相対性理論からというわけやけど、この『相対性理論の世界』はとても解りやすかった。
だいたい「光速度普遍」を基準とする「特殊相対論」は時間も質量も体積も、光に対しては可変的であると言う結論を導く意味で、実体験の範囲外にありながらも理解しやすいものやと思う。(実際俺もそこまでは知ってたし)
しかしながら特殊相対論が言おうとする事はそれとは全く違う、エネルギーと質量の等価性を結論づける話であり、一般相対論とはそこに重力と加速度の等価性を前提したうえで、速度が可変の加速系を扱う理論ということになる。
そのあたりの事がこの本ではちゃんと理解できたように思う。
次の『量子力学の世界』は俺の知識と理解力不足のせいもあるやろうけど中々解りにくかった。原子のスペクトル解析から量子論が生まれ、原子核を構成する素粒子の話あたりまでを歴史的な発展段階で説明しているような感じやけど、対話形式というか妙な例えのおかげで余計に解りにくかった。
結局理解できたのは量子力学て言うのは分子とか原子とか原子核だとかの非常に細かい世界の話で、原子やら電子の運動はハイゼンベルグの「不確定性原理」に基づいており、ニュートン力学的な予見的に予測できる物ではなくって、ある「状態」の範囲内としか理解できず、非連続なエネルギー特性を持つ。ということであり、なんかそういう電子やとかの性質を理解する事で発展的な事が出来た。ということやろうか?
それでも、マイナスエネルギーを持つ騾馬電子やら反陽子やら反物質の話まで出てくるともう完全に想像の範囲外にある。
昔、数学で虚数てのを習った時にこの世の中には訳のわからん事が沢山あんねんなぁ。てな事を思った記憶がある。
コペルニクスの地動説やら、チャールズ・ダーウィンの進化論やら既成概念を変えてきた科学的見解というのは沢山あるわけやけど、相対性理論や量子論の話なんかも自分のいる現実を根底からひっくり返すような感覚がある。
それは原子やとか光速度に限りなく近い条件下といった日常生活にはない状態での現象の話やけど、それでも現在の世界モデルというか物質モデルであるニュートン力学が現実的には正しく見えても、小さなところで根本的に間違っているという認識は大事な事やと思う。
質量も時間も体積も光速度からすれば可変な訳で、その光すら重力の影響で空間のゆがみという形で進路を変える。それはもう不確定性原理を持ち出すまでもなく絶対的な尺度は何もないと言う話になる。
とはいっても、量子と光速度の世界は余りにも想像の範囲外の世界にある。いくら言葉で説明されても、記号で説明されてもその説明されている物がそうなることは理解できない。言葉や記号で表されているはずの物をちゃんと想像できないのだ。
結局そういった事実を解った気になっているだけで、ちゃんと解ったとはとても言いがたい訳で、俺にとっては「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」という事になりそう。
文系的な事実については「へー」と自分の理解が深まったような感覚を抱く事が多いけど、こういう科学的事実とされる事を知った時はその仕組みと構造美にただ驚くくらいの反応しかできない。
でも考えてみればそれは 「神秘的なのは世界がいかにあるかではなく、世界があるということなのである。」という感覚なんやろう。
とまぁ文系である俺は最後にヴィトゲンシュタインの話に持って行ってみた。ムリヤリ??