『神谷美恵子 聖なる声』と『神谷美恵子の世界』/ニュータイプサイヤ人神谷美恵子
最近神谷美恵子について書いた本『神谷美恵子 聖なる声』と『神谷美恵子の世界』を読んだ。
『神谷美恵子 聖なる声』は一人のノンフィクション作家によって「美智子皇后の相談役」なる彼女の逸話の一つを取っ掛かりにして彼女の人生を描いた本で、『神谷美恵子の世界』はみすず書房による『神谷美恵子コレクション』の別巻のような形で編集されて出版された、彼女にまつわる写真や講演、彼女の友人や医者や文学者によって彼女について書かれた文章で構成された本である。
神谷美恵子といえば、「ハンセン氏病患者の治療に生涯を捧げた」、『生きがいについて』の著者として、献身的なマザー・テレサ的聖女のような扱いを受けているような印象があるが、これらの本を読んでそれは期間的にも性格的にも彼女のほんの一面であるに過ぎないことがとてもよく分かった。
彼女は日本人でありながらフランス語をベースの思考と読み書きの言語として、英語はもちろん古典ギリシャ語、イタリア語、ラテン語、ドイツ語を自在に操り、東京裁判で精神科医として戦犯の精神鑑定を行い、GHQと文部省の折衝を一手に引き受け、フランス文学者である兄の前田陽一をして自分よりも優れた文学素養があると言わしめ、音楽、医学、絵画、語学、文学とありとあらゆる方向に専門的なレベルで精通した、戦前戦中戦後のもっとも多才な才人の一人であったと言えるのは間違いない。
女性は結婚して家庭に入るものという考え方が殆ど強制力として働いていた当時、女性が学問をすること自体が難しかった。
女性にとっての社会的な意味での道が殆ど閉ざされていたような社会状況の中で、神谷美恵子が女性でありながらもここまで社会で活躍して業績を残す事ができたのは、彼女自身の能力があまりに群を抜いて高かったことは勿論、彼女自身の自らの内なる欲求に突き動かされての努力のためであったと言うこと以外にないだろうと思う。
彼女はつねづね、彼女をハンセン氏病患者への献身に駆り立てた「人のために尽くしたい」という感情と、著作や翻訳や研究に打ち込ませた「自分だけの仕事をしたい」という二つの感情に引き裂かれて常に苦しんでいたという。
『生きがいについて』を読めば、彼女が「あっちの世界」を垣間見ながらもこっち側に帰って来た人であることがよく分かる。
彼女は20歳過ぎのころ、当時は死病であった結核に感染し、療養と言う名目でほとんど死を待つように人里はなれた避暑地でうつ状態で引きこもっていたが、何かの拍子にどうせ死ぬならその前に古典文学を原書で読んでおきたいということで、古典ギリシャ語、イタリア語、ラテン語、ドイツ語をベッドの上で独学しはじめた。
そしてその結核は彼女には圧倒的な語学力と古典文学への深い素養を残して奇跡的に治癒する事になる。
そして40歳過ぎにガンが発見されて今度こそ駄目だろうと死を覚悟したもの、治療が功を奏して回復し、今まで若いころからずっと気になっていた「ハンセン氏病」へのかかわりを持ち始める。
彼女は、死を覚悟した上での決意を持ち、ほとんど死の寸前から復活することで、文字通りまったく別の人間として再生した。
その二度の「死と再生」によって彼女を彼女足らしめるもっとも大きな属性を手に入れたことはとても面白い。
彼女にとっては、人間にとっての極限状態であった結核と鬱とガンを逆に踏み台にする事が、むしろそれらを克服する以上のものを得るための切欠になったと言うわけですな。
とはいえ、死に掛ければ死に掛けるほど復活時に戦闘力が大幅に増えるのは純粋な戦闘民族であるサイヤ人だけだし、迫り来る三つの難敵を踏み台にして倒すことが出来るのはニュータイプのモビルスーツのパイロットだけである。
われわれ常人にはそこから回復したり克服するだけで精一杯であるが、それでも、精神的にも肉体的にも死の寸前まで追い詰められてそこから復活した経験を持つ人はやはり「生」や「死」に対するとらえ方がそうでない人とは少し違う場合が多いように思う。
「どうせ死ぬなら」でやりたいことをやり始めると言うのは良く分かるが、「どうせ死ぬなら」から古典文学を原文で読むための外国語習得に結びつける事はなかなか常人には出来ない。
しかし、誰しもそういった心的な回路はとてもよく分かるだろうし、彼女のそういった感覚と状況に思いを馳せることで、私の中にあって殆ど錆付いていた、同じような回路に電源が入ったような気がする。