セシュエー『分裂病の少女の手記』/目にうつるすべてのことはメッセージ

amazon ASIN-4622023415 読んだもののブログに感想を書いていない本が沢山あるので、内容の整理の意味も込めてできる限りここに書こうと思うのだが、
最近は内容的にもちょっと重すぎて書きにくいものが多かったので、ちょっと軽い目のこの本、中々に目を引く装丁の写真に惹かれて殆どジャケ買いした、セシュエーの『分裂病の少女の手記』の感想をば。
この本は1950年にフランスで出版されたものの翻訳で、統合失調症を発症したルネという少女が、この本の著者である精神科医セシュエーの献身的な治療によって回復した後に、発症前、発症中、そして治癒後の状況を回想しながら書いた手記、とその解説ということである。
今でこそ統合失調症はちゃんと治る病気であるが、この本が出版された1950年代当時は、一度統合失調症を発症してしまうと治癒するのは稀で、ほとんどの場合は病院の檻の中で一生を過ごすようなイメージであったようである。
そんな時代、この本のルネのように発症してしまった統合失調症が回復すること自体がとても珍しい例であったうえに、本人が発症中何を感じ何を考えていたかという事を詳細に綴った手記はとても貴重であったらしい。
そして当時は発症中はもう殆ど人間性が失われているように思われていたが、この少女ルネのように病気の中にあってもちゃんとした意識と感情を持ち続けていたと言うことは医者に対してもかなりの衝撃を与えたようである。
この思いつめた様な目で檻をつかんでいる少女の写真の装丁そのものが当時精神分裂病と呼ばれた統合失調症のイメージをとてもよくあらわしているのだろう。


統合失調症の典型的な症例のパターンである、自分が何らかの組織などに監視されたり追われているといった追跡妄想や、何らかの手段や器具によって自分の考えが外に漏れている思考伝播なるものがあることは知識として分かっていたけど、実際にそれを体験した人の手記を読むと中々強烈であった。
世の中すべてが自分の敵で、身の回りに起こるあらゆることが自分に対する嫌がらせで、それを察して避けるためにはどんな些細なことにも注意を払って、そこから意味と予兆を見出す必要があるから、常に極度に緊張して周りに気を配る必要があるが、自分の思考も世界に漏れているから自分すら欺く必要がある。
と、そんな世界で生きるのは本当にどれだけ辛くて苦しいだろうと思う。
そしてこの本の中に書いてある少女ルネをとても苦しめた「非現実の混乱した感覚」なるものは、子供の頃に風邪をひいた時に良く見たような、空間やら時間やら質感やらが入り混じってゆがんでいるとしか言いようのない、とても気持ち悪くて気分の悪い夢の感覚にとても似ているように思えた。
当時の私は夢から覚めることでその感覚から脱することが出来たけど、それがずっと日常の中で続いていること考えただけでなんとも堪らない。
統合失調症についてはそれなりに知っていたつもりであったけど、統合失調症が理性と感覚の統合が失われて世界を論理だけで捉えようとしてどんどん追い詰められてゆくところの意味と、その本人がどれだけ辛いかをこの本を読んでとてもよく分かった。
そして、この手記が意識的に自分を観察できるほどの、最も症状が軽微であった状況だけを書いたに過ぎないという解説を読んで、あまりの統合失調症の闇の深さにクラクラするようであった。
この本の中の少女ルネのように、普段の日常で何気なく見過ごしてスルーしていることの何もかもに、自分への悪意と明確なメッセージを感じずにいられないのを読んで、普段我々がどれだけ自分の周りにあふれる情報を自分と関係ないものとしてあえて捨てているのかということを改めて意識した。
「目にうつるすべてのことはメッセージ」ってのはなんか歌で良いことのように言われてるけど、実はとってもしんどい事ですな。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。

PAGE TOP