ミシェル・ウエルベック『プラットフォーム』
この本も古本屋で100円で買い叩いてきた。
2001年に発表されたこの本は物語の中の事が現実の事件と重なり、驚異的な論争を巻き起こした。
現代フランス文学に属するこの本と作家は日本で「キモイ系」にカテゴライズされるらしい。
当然全部読んでからネット上で知った事である。
参考サイト:はてな
本の内容は役所に勤める冴えない40代の中年男性の話で、半分まではツアーでのタイ旅行を絡めて延々と性欲について語られ、残り半分はそのツアーで出会った旅行会社の重役級エリート女性と延々セックスし続ける話。
主人公のタイプとそのお相手の女性のタイプと実際やってる事で「キモイ系」てのがなるほど納得できた。
この本は「イスラム批判」で物議を醸し出した本やけど、そこの所は全く無視して感想を書いてみる。
本国フランスでのミシェル・ウエルベックの主な読者層は、ホンマモンのインテリ系と言うよりは、どちらかというと自称インテリの中産階級、冴えない中年男性がかなりを占めるらしい。まぁ、どっちかというと俺もその読者層になるわけやけど…
この本や作者が「現代ヨーロッパの閉塞感を見事に描いている」とかそれらしい事を言われてるけど、実際さえない自称インテリ中年男性の願望を書いているだけではないか。というのが率直な感想。
主人公のお相手の女性は十三歳年下で、生きにくい系で、世界を醜いものとして捉え、主人公より少しだけ知的レベルが低く、なおかつ高給取りでスタイルが良くって美人で、何よりもエロい。
ある種の願望を体現している様な感じやね。
んでもって最後は「悲劇的な結末」って事になるわけやけど、倦怠が訪れる前どころか最高潮あたりで「悲劇」ってところがミソなんやろう。まぁ悲劇と言えば悲劇やけど…
とにかくヒットする読者層の欲求と願望をダイレクトに刺激して、またその性欲の解消されなさを「不幸」と言い切っているところが潔いと言えば潔い。
他人の性欲ってのは端から見ると、見苦しくて滑稽以外の何ものでもないけど、自分も大して変わらんと考えるととても居心地が悪くなる。
まぁ、性欲に限らず、なるべくなら他人から見て見苦しい事はしたくないとは誰でも思うやろうけど、中々それも難しい。
そういう風に読めばそういう風に読めるけど、ぶっちゃけ他に書くべき事はいくらでもあるやろうし、するべき事や考えるべき事はいくらでもあるやろうと思う。
しかし実際のところ「中産階級的」というのは、第三世界的な貧困とか飢餓には根本的に無関係で、特に問題なく暮らしてゆける金はそれなりにあって、日々の生活や仕事に問題やとか悩みとかも特に無く、社会的にも更に上を目指せる希望も、知的なり趣味的なりの方向性で何かを極める気も余りないという志向を持つ人という事になる。
つまりは、特に問題はないが毎日がつまらない、生活に張りがない、などとのたまう人種である。
そういう人の抱える閉塞感なり問題意識なりは、何かを根本的に考えようとしたり、何かで本気で悩んでいる人や毎日が辛いと感じる人にとってはおおよそ遠い世界の話に思えるだろう。
ニートやフリーターの持つ切迫感や問題意識の方が遙かに切実であるし、感じるものも得るものも多いだろう。
ただ、中産階級に属していなくても、本気で性欲について考えたり悩んでいる人にとっては、この本はケーススタディーとして、それなりに意味はあろうかと思う。