パウロ・コエーリョ『星の巡礼』

ブラジルの作家、パウロ・コエーリョ『星の巡礼』を読了。
「星の道」と呼ばれて古来から巡礼の道として有名な、フランスのピレネー山脈バスク地方の町から、スペインの北西部、サンチャゴ・デ・コンポステラまでの道のりを、失った剣を探す為に歩き詰め、その道すがら主人公の青年が精神的に成長してゆくという話。
アマゾンでは宗教色を気にせず読めとか、オカルトとして読むな、とか言われてるけど、確かに言及されるだけあってそういう要素は多い。とういうかそういう要素だらけ。
前に読んだ『アルケミスト』同様、いわゆる「スピリチュアリズム」やら「神秘主義」なる系統の本という事になろうけど、『アルケミスト』よりはるかにその雰囲気が色濃く漂っている。
これはパウロ・コエーリョのデビュー作らしいけど、デビュー作でこういう色を出すのはさぞかし勇気がいっただろうと思う。
それでも、作者が本当に書きたかったのはこういう事で、本当にしたい事をするのはとても勇気がいったと言っている。
そして、この本は大ベストセラーとなったわけで、作者としては本当に言いたかった事が、自分の大事にする物がこれほど世界に受け入れられさぞかし嬉しかっただろうと思う。


amazon ASIN-4885031249使われている語彙、モノを考える文法、目指す方向性はちょっと古くさく、今から言えばとても受け入れがたいやろうし、一般的には胡散臭く見えるのもよく解る。
俺も自分ではそういった「胡散臭さ」に敏感である方やと思うけど、この本は最後の最後までその胡散臭さに浸りきらない一歩を守りきっているように見えた。
それは、なによりも、作者の真面目さと必死さと、読者に対してその恩恵を分け与えたいと望む熱意と好意、自分の信じる物に対する純粋さ、そういったものにとても好感を抱けた。というのが大きな理由だろう。
この本で主人公の旅のガイドの賢者は、偉大なる智恵の道と、自らの剣を手に入れる道は、誰もがたどる事の出来る道でなければならず、そしてその智恵と剣は人生に対して実際に応用できる物でなければならないと繰り返し繰り返し語っている。
そして主人公は何のために剣を手に入れようとしているのか、と言うところに思いあたることで悟りらしき物にたどり着く。
確かに、欲求としてのみの知識欲、自己満足としての智恵や力では意味が無く、そういった物は人生なりなんなりに有効に影響を与えて生かされ、なにかしら自分が救われ、自分の指針となるものであるべきだとは思うし、またそれは万人に開放されるべき物だとも思う。
もし、誰かがそういったなにかしらの智恵のような物を目指しているとして、隠遁者のような生活を送りながら、誰も読まないような本を読みまくり、誰も聴かないような音楽を聴きまくり、誰も打ち込まないような事に打ち込み、誰も考えないような事を考えまくって何かにたどり着いたとしても、それがその誰かの人生に直接に役に立つのだろうか?そのプロセスを万人がたどる事が出来るのだろうか?
そして何よりもそういう風にしてたどり着いた智恵に果たして意味などあるのだろうか?
いずれにせよ、ここまで他人に誇り、語り、指し示す事の出来る物があるというのはとても素晴らしい事だと思った。

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