ナディン・ゴーディマ『ゴーディマ短篇小説集 JUMP 』
長編を読み進む合間に骨休め的にナディン・ゴーディマの『ゴーディマ短篇小説集 JUMP 』を読んだ。
著者は南アフリカのユダヤ系白人の女性作家で、1991年のノーベル文学賞を受賞している。
白人側の立場にありながらも一貫して反アパルトヘイトの立場を取り続け、著作が発禁にもなった多作な作家で、短編小説の評価が高いとされているらしい。
この本はノーベル文学賞受賞後に書かれた短編集で、人種隔離政策が全廃され、政治犯が釈放され、「弾圧」が緩み始めた時期の物ということになり、また、私にとっては初めて読んだナディン・ゴーディマの本である。
出た時期や内容から見て、この本が明らかなアパルトヘイト批判の書であるというよりは、そういった状況に暮らす人々の日常をリアルに描こうとした純粋な文学作品の傾向が強いのだと思う。
しかしながら、人種や性別や年齢がまちまちであるそれぞれの短編のの主人公の口を通して語られる日常と化した人種差別は、読むもの感情をダイレクトに刺激し、どんな立場から見ても人種差別は酷い物であるとする著者の信念と主張は容易に読み取れるし、どうしても彼女の今までの活動と扱っている題材からも、そう言った社会的なテーマを抜きにして書かれ、そして読まれる事は不可能であると思う。
信念が価値を定位するような、そんな意志の力に貫かれているような短編集だった。
現在読んでいる長編の箸休めとしてこの短編集を読み始めたものの、読んでいる長編の革命前後のパリの芸術家とブルジョア階級を巡る物語と、この短編集の人種差別のが吹き荒れる南アフリカの世界の余りの落差にしばしクラクラする。
パリの芸術家やブルジョア達からすれば、南アフリカの黒人たちのような人々は芸術も美も解さない卑しむべき者であり、南アフリカの黒人たちからすればパリの社交界に集うような連中は打倒すべき搾取する側の人間である。
パリの芸術家たちの作る作品も、南アフリカの黒人達の叫びも、どちらも真実であるのは言うまでも無く間違いないところだが、その二つが相容れる事のない矛盾した概念であることもまた真実である。
とは言っても、それは搾取される側からの視点からは出てこない見方であり、その立場からすれば結局芸術などというものは搾取する側の余剰の産物である用にしか見えないだろう。
もちろんナディン・ゴーディマがそんなことを言おうとしているわけではないけど、そう考えると、なんとも複雑な気分になってくる。
って、作品とはまったく関係ない感想になってもた…