レベッカ・ブラウン『体の贈り物』

とあるwebページで絶賛されていたレベッカ・ブラウン『体の贈り物』を読了。
柴田元幸が翻訳したと言うことも読んだ一因である。
短編の構成を取りながらもそれらがリンクして連作としての物語になると言う構成の、死を待ちながらもどんどん日常生活が出来なくなって行くHIV患者達と、彼らのホームケア・ワーカーとして身の回りの事を世話する女性の物語。
限りなくチープでありきたりの押し付けがましく説教臭いお涙頂戴な話になりそうな題材を、普通の話なら言及しそうな話題、例えばHIV問題だの人間の尊厳だの死についてなどと言った視点を一切廃して、何を話しただとか何をしただとか何を食べただとか患者との関わりのレベルだけで淡々と語ってゆく。
全ての短編構成の物語が「The gift of ~」で始まるので分るように、ホームケアすると同時にその相手から何物かを贈られているという感覚が根底にあるのだろう。
訳者とweb上のこの作品を褒めている人の殆どの人が「とにかく一度読んでみて下さい。」と言う意味が良く分ったし、「末期のHIV患者とそのホームケア・ワーカーの話」で連想される物語とは全く違うと彼らが言うのも良く分った。
さらに、「この本について語れば語るほど本は面白そうで無くなって行く」と言うのも書いていて良く分った。
哀しいとか感動するとかそういったありきたりの言葉では語りにくい物語であると思う。


amazon ASIN-4102149317登場する患者の全てが必死に日常生活生活を営もうとする姿は痛ましく、結局彼らの全ては奇跡を起こす事無く死ぬ訳やけど、「苦労して日常生活を営み、やがて死ぬ」と言う図式はHIV患者だけでなく人間であれば誰でもに当てはまるものであり、そこには程度の差くらいしかない。
そういうわけで、体裁は「死に至る病」にまつわる話を扱っているわけやけど、死を免れる人はいないが故に結局は全ての人間に共通のテーマともなるわけである。
淡々と感情を表さない単語で綴られた物語であるけど、その語りの行間から読み取れる主人公の優しさだとか感情だとか愛だとかがこの物語を上に押し上げている。
そういった書き方はリアリズムの手法ではあるけど、結局出てくる人間は全て良い奴で、ケア・ワーカーに当り散らす患者も、患者を虐待するケア・ワーカーも当然出てこない。
もちろん何をリアルだと思うのかは人それぞれやけど、リアリズムの殻を被ったファンタジーのようにも読める。
確かに、こういう風に死に行く人に接し、死に行く人を見送り、こういう風に死ねたらどれだけ良いだろうと思う。
それでも、われわれの住む世界はもっと汚く醜く悪意に溢れている。
と思う俺がそうなのかもしれないと思った。

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