栗本薫 『レダ』

二日かけて栗本薫 『レダ』を読み終えた。
初版は1983年、今から20年以上前の本であり、文庫本にして三冊分、二段組のハードカバー600ページほどと中々長大な物語だった。
この作者は私が読み続けている『グインサーガ』の作者でもあり、この作者とこの作者の書くものはSFかライトノベルとカテゴライズされるようだ。
人が人を生むことは無く、全ての人間は工場の人工授精により人口胎盤から生まれる、人の帰属先は家庭でも特定の人でもなく社会でしかありえない、家族関係と恋愛関係という人間の弱さと悲しみを生む枠組みを根本から取り払った、「個人」を最重視した社会システムがある。
職業の選択、ありとあらゆる嗜好、またそんな社会に反抗する者ですら受け皿を用意して許容し、全ての人間が平等に尊重されて平等に自由を持つ、全ての人が幸福になる権利と義務をもつ、全てがコンピューターによって計算しつくされた理想社会。
そこに暮らす平凡な少年イヴがある日「レダ」に出会ったことから全てが始まる。自己、性、社会、生、死、様々な事を考えて悩み、様々な人との出会いと別れを通してイヴは大人になってゆく。そして気がつけば平凡な少年であったはずのイヴは行き詰まりを見せかけた全銀河の社会システムを根本から変革するような存在になっていた。


amazon ASIN-4152032251時代や社会設定はSFであり、キャラクター設定はライトノベルであり、古典的教養小説のパターンの少年の成長物語でもある。
webでは全体主義やユートピア思想への批判であり、自由論であり存在論であり社会論であるという人もいる。
これだけ長大な物語であり、またその殆どが会話であり独白であり思いであるといった、物語自体よりも物の考え方や見方が能弁に語られる構造からも色々な読み方が出来るだろう。
またこの本を「人生に残る本」やとか「人生を決定付けた本」だと言う人が多い訳もよくわかった。
少年の成長物語をこの年になって読んでも、この本が読者の抱えている問題や疑問について主人公が自分の問題として真面目に真正面から本気でぶつかっていこうとする物語である事を、この物語を読む沢山の人が見出すであろう事はよくわかる。
特別な才能や力に恵まれた超人的な主人公でなく、読者自身を容易に投影しやすい、自分が余りにも平凡で取るに足らない何者でも無い存在であると感じ、そして平凡で無力である事に悩み苦しむ少年が主人公であると言うところが多くの人をひきつけたのだろう。
普通になりたいながらも自分が普通でないこと感じ、それでもどこまでも自分があらゆる意味で凡庸である事実を喜べずに絶望的な気分になる人にとって、この物語は何かしらの慰めを与えてくれるのではないだろうか。
「本ばかり読んで何もしていない」と自虐的に言う私が「本を読むと心が豊かになります」とある御仁に慰められて嬉しかった事が最近あったのだが、まさにこの本は心を豊かにしてくれそうな本だった。

3件のコメント

  • はじめまして。ようこそおいで頂きました。
    作者が作者ですが、ジェンダーSFでも801SFでもありまんでしたね。
    確かに哲学犬ファンの存在はこの本の大きなポイントでしたが、検索してみたところ、『レダ』は「犬SF」扱いではないようで。

  • 『レダ』 栗本薫 早川書房

    栗本 薫
    レダ (1983年)
    栗本 薫
    レダ〈1〉
    栗本 薫
    レダ〈2〉
    栗本 薫
    レダ…

  • はじめまして
    ジェンダーSFや801SFを期待して栗本薫を読み始めたのですが、本書は犬SFとして感動しました。 

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