ピーター・F. オストウォルド『グレン・グールド伝―天才の悲劇とエクスタシー』

ここ最近のちょっとした引きこもり生活で質と量ともにヘビーな本ばかり読んでおり、日常への緩衝地帯のようなつもりで、軽く伝記でも読むか。
という事で、ピーター・F. オストウォルド『グレン・グールド伝―天才の悲劇とエクスタシー』を読み始めた。
好きなピアニストであり、伝記でもあり、気楽なつもりで読み始めたけど、内容はかなりヘビーである。
病気、手への怪我、群集、他人、など色々なものに対する強迫観念を持ち、風邪を引かない為に真夏でもマフラー、コート、手袋を着用し、決められた銘柄のビスケットとミネラルウォーターしか口にせず、晩年はコンサートを拒否してスタジオ録音ばかり残した極端な人間嫌いだというピアニストである彼の人となりを、精神医学者の立場から述べている。
グレン・グールドが明らかに精神的に何かアレな人やなというのはこの本を読む前から彼の言動を知った段階でわかっていたけど、流石に本職の人が彼の幼年少年時代から今に至るまでの生活を分析的に書いてあるのは結構辛いものがあった。


amazon ASIN-4480885110読む限り彼は極端な傷つきやすさを持ちながら、人との争いと人を傷つけるのを極端に恐れるあまりに、人と接するのを恐れたわけやけど、良くこんな孤独な辛い生活に耐えられたなぁと驚く。
彼の一番の不幸は人と接するのを恐れて他人を拒否したからではなく、それとは全く逆の、人に認められ、人から誉められ、人に尊敬されたいといった、他人を激しく求めていた点にあるだろうと思う。
他人を拒否しながらも求めるといった分裂が、彼にとっての悲劇だった。と思った。
彼は天才としか言いようのないピアニストやったけど、実生活では嫌で変な奴であり、彼と直接関わりのあった人はことごとく迷惑をかけられている。
ドストエフスキー、ベートーヴェンなども同様に実生活では大概な人間やったというので、俺は結構そういう人間の作る芸術が好きなのかもしれない。
流石にこの年になると周りにここまで単純なシンプル脳みそな人は見ないものの、中学とか高校の時はよく「好きなタイプは性格の良い人で~す」とかいう奴がおったけど、上のお三方は明らかに「性格が悪い奴」に分類される。
だからといってドストエフスキー、ベートーヴェン、グレン・グールドに人間としての価値がないのかというと絶対そういうことはないわけである。
異性の好きなタイプについて「見た目至上主義」で事を運ぼうとする人間が非難されるのは一般的であるけど、逆に上のお三方がもれてしまう「性格至上主義」も如何なものかと言う事になろう。
何が言いたいのかというと、人間の価値なんか何で決まるかわからんし、滅茶苦茶な性格でももてる奴はアホほどもてるし、公平なんか不公平なんかわからん世の中やなと。
って全然グレン・グールドの伝記の感想やないね…

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