柏祐賢 『学問の道標―学究者におくる』

先日某レディがちょっと思いつめた顔で「大学の先生を目指すわけでもないのに修士や博士で必死で勉強している人たちが何をしたいのか何を目指しているのかが全く理解できない」と言ったのだが、今までちょくちょく研究室に来る学部生にそういうことを聞かれた事があったけど、そういう疑問自体に久しぶりに接したような気がして逆に新鮮やった。
「彼らのお陰で、知的な意味で世界が利益だけを価値としてては絶対進まん方向に進歩するのだ。」と判ったような判らんような事を答えておいたのだが、ちゃちゃっと大学出てちゃちゃっと就職して日々労働して生きている人たちから見た、彼らの行動の不可解性はまぁよく理解できる。
しかしながらホンマは彼らのようになりたかったけど諸事情でとにかく働かざるをえんかった私のことでもあるから、彼らの思いもよ~く理解できるのである。
そういうわけで(でもないけど)前から読もう読もうと思っていた、enzian様のトコのブログと、同氏が「哲学科教員ブログ」に投稿された同記事で紹介されていたこの本を読んだ。
著者は元京都産業大学の学長で京都大学名誉教授でもある農学の研究者ということでバイオテクノロジーなバリバリの理系な人ではなく、農学は農学でも社会科学系の農学、社会と農業の係わりについて研究した人なので、この本はどちらかというと文系寄りな雰囲気がある。
研究者を目指す人を対象に、その心構えについて書かれた本ではあるけど、研究者でなくともちゃんと真っ直ぐに人生や仕事を生きたいと願う人にとっても意義のある本であるといってしまっても、研究者ではない私の曲解ではないと思っている。


amazon ASIN-462440016X一章で「学究者」としての人格的なあり方と心意気と何を学究すべきかを、二章で「科学」を自然科学、文化科学、実践科学の三つに分けた場合の科学的認識としての「研究」のとるべき態度、三章で認識する者と認識されるモノの係わり、全体的認識と部分的認識を包括するような「哲学的全体観」について述べられる。
氏は「学問研究」について述べているわけであるけど、学問研究が自らの人格やら人間としての水準やらを発達させる道でも媒体でもあるというくだりは、「学問研究」だけでなく仕事でも生きる事自体にでもそうあるべきだと思わずにはいられない。
成果や仕事量をすべて金に換算して評価されて価値付けされる世界に私は生きているわけでもあるけど、仕事として毎日何かしらの労働をこなし、労働とはまた別の何物かについて考え、深めてゆく過程が自らの人格と人間の水準を発達させる過程でもあって欲しいと願って止まない。
生きる事の目指すところが欲望の充足と追求であると公言するのが恥ずかしい事でも何でもない事になっている世の中で、自らの人格やら人間性を鍛える方向性を目指す欲求がある世界はなんとしても死守したいものである。
真面目に物事を見て、本気で何物かを知りたいと願い考え続ける人にとって、この本にある彼の言葉は良く心に響くやろうと思うし、またそうでない人にとってもそういった彼らが何を目指しているのかが理解できるかもしれない。
著者の言葉である

実在は、単に「在る」ものではなく、「作る」ものとの全一的統一体である

という主張を、価値のみにも無価値のみの世界にも落ち込まない、優しくもあり厳しくもあり、慰撫的でもあり鼓舞的でもある、良い感じのトーンで言えるのは素晴らしいと思った。

3件のコメント

  • >成果や仕事量をすべて金に換算して評価されて価値付けされる世界に私は生きているわけでもあるけど、仕事として毎日何かしらの労働をこなし、労働とはまた別の何物かについて考え、深めてゆく過程が自らの人格と人間の水準を発達させる過程でもあって欲しいと願って止まない。
    まったくその通りやなぁ。
    個人的に、そなたには、
    名誉○○科卒業生の称号をやる、
    ありがたく受けとれぃ。
    ぼくの記事よりよく書けているので、
    TBするよ。

  • 『学問の道標』

    以下は、他のブログで書いた記事の転用です。このブログの趣旨とは合わない本ですが、絶版状態になっているのを残念に思っている本なので(しばらく本を紹介していな…

  • ぬはぁ。ありがたき幸せにござります。
    名誉○○科卒業生の称号謹んでお受けいたします。
    巷に雑多と溢れる本との良い出会いが、これまた人を介してであるというのは中々趣のあるものだと思う今日この頃です。

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