アン ファイン 『チューリップ・タッチ』

amazon ASIN-4566024008YA本(ヤングアダルト)という十代の読者向けのジャンルがあるのを最近初めて知ったのだが、この『チューリップ・タッチ』はそのYA本でも、図書館の資料区分は「児童」となっているくらいの、どちらかというと児童書になるらしい。
作者が児童文学者ということで児童文学の枠に入れられたのではなく、最初から児童書として書かれた本のようである。
私は児童書を読む事はほとんどないけど、色々な本好きサイトで一般的な文芸書やら小説やらのレベルで褒められていたのが目に付き、さらに『チューリップ・タッチ』という芸術的なまでの素晴らしいタイトルが物凄く気に入ったので読んでみた。


内容は不幸な生い立ちの「チューリップ」という名前の嘘吐きで攻撃的で荒み切った問題児の少女と、彼女の「手下」のような形の友達になった少女の8歳から12歳までの話であり、この本の内容が若年層の犯罪とか児童虐待とかそれらしいテーマと結び付けられて、本国イギリスではちょっとした問題作になったらしく、ネットでもそういう文脈で感想や評を書く人が多かった。
悲惨な生い立ちで世界に対して絶望と怒りと悪意しか持っていない子供というレベルでは『悪童日記』と同じではあるけど、『悪童日記』のリュカとクラウスが大人たちを完全に翻弄しているのに引き換え、チューリップはどんどん自分を追い詰めながらも完全に大人の世界に飲み込まれており、そこが我々大人の読者が感じる「痛々しさ」の中心になっている。
当然酷い話ではあるし滅茶苦茶な話でもあるけど、しかしながらそういった真っ当な読み方はあえてせず、子供時代特有の打算的でない攻撃性や残虐性や破壊衝動が含む、ある種の美が表現されたものとして読んだ。
いくら少女チューリップが荒んでいるとはいえ、平気で人を殺して食べ物を奪うスラム街や内戦地域の子供たちの荒み方とは別種のものであるし、そこには形式としての洗練があり、人を傷つけるために絶妙のタイミングと言葉と態度と方法を選ぶ見事なまでのセンスは芸術的なまでの美しさがある。
大人のやる打算的な醜いものとは違って、子供の行うそれは純粋芸術ともいえるだろう。
チューリップの書いた自画像が先生たちを驚かせたりする描写があったけど、こういう反社会的な行動や悪意の成就に費やされるエネルギーと才能を上手く機能させてよさげな方向に向けると、たとえば音楽であるとか絵画であるとか、そういった芸術的と呼ばれる分野の生産性に一役買うのだなと思った。
大人たちが忌み嫌っているチューリップの根本的な欠点とされる悪魔的な部分は、裏を返せば他人とチューリップを隔てる特殊な才能や美点にもなりえるわけで、人間の長所と短所なんか表裏一体でどう使うか次第であると思うわけである。
ネットで見る限り誰も彼もチューリップが絶対悪でありえるか?環境のなせるわざであるか?とか前提としてチューリップを悪と断定しているように見えるけど、私はそれは輝くばかりの才能にしか見えない。そんな才能を無駄遣いせずに別の方向に向けさせるような方向こそ大人にできる事なのではないかと思うのだがどうだろう。
と、最後はまともな感想でしめてみた。

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