『スプートニクの恋人』村上春樹

また本の話になるけど、本しか読んでないからしょうがない。
日記的には「今日も一日引きこもって本を読みながら、餅とミカンばかり食べていた。外は雪が降っており寒い一日だった。」となる。
村上春樹『スプートニクの恋人』を読了。登場人物はもとよりストーリーの大筋すら覚えていなかった。これで「読んだ事がある」と言うのは語弊があるかもやけど、過去に一度は読んでいるはず。読み返した記憶がないところを見ると当時は面白くなかったんやと思う。
この本の出版は1999年で、俺は初版を買ってる。長編小説では前作である『ねじまき鳥クロニクル』から四年後の出版で、その間には『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』『アンダーグラウンド』『約束された場所で』などの重要な(と俺が思う)対談、ノンフィクションが出版されている。


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で、肝心の村上春樹がどこへ向かおうとしていたのか。どういうテーマを扱おうとしているのかという話になる。
『ねじまき鳥クロニクル』と『スプートニクの恋人』の長編の間に出版された村上春樹の作品で重要なものとして『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』『アンダーグラウンド』『約束された場所で』の三つをあげたけど、『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』はその名のとおり、小説家の村上春樹と心理療法家の河合隼雄としての対談集になるわけで、その中で村上春樹はデタッチメントの段階からストーリー・テリングの段階に移り、今はコミットメントの段階にいると言っている。そして象徴的な言い方やけど、「個人性の井戸」を深く深く掘ってゆくことで底の方で他者とコミットするようなあり方に興味を持っている。というような意味のことを言っている。
『アンダーグラウンド』は地下鉄サリン事件の被害者に村上春樹自身がインタビューしてそれを個人的な話としてかなりの量を掲載したものであり、『約束された場所で』はその対象がオウム信者となっている。これらは村上春樹が始めて手がけたノンフィクションであり、インタビューの対象者自身が経験した「地下鉄サリン事件」と「オウム真理教」の物語を、体験者自身の「個人としての物語」にすることで追体験し、その個人を超えてその二つの現象である「地下鉄サリン事件」と「オウム真理教」とコミットし、その対象を捉えようとした意図を持って書かれたものだと思う。というか、今ではそういう風に理解している。当時はお前がノンフィクション書くかーそんなん村上龍に任せとけやーとか思ってたけど、今となれば、まったくドラゴンとは違うアプローチやなー。確かにの村上春樹らしいやん。と思うようになった。
そういう「個人としての物語」や「コミットメント」をキーワードにした方向性から『スプートニクの恋人』を見ればなんとなく見えてくるものはないだろうか。
ストーリはばっさり省略するけど「すみれ」が「ミュウ」に恋をして、ミュウの「観覧車の話」を聞いた後に行方不明になる。そして最終的に「すみれ」は戻ってくる(とされる)わけやけど、これは村上春樹の言う「井戸に降りる」と「壁抜け」に対する当事者ではなく傍観者から見た見方ではないだろうか。現に「僕」は「すみれ」の行方不明について「井戸のような深い場所に落ちて」というイメージを拭う事ができないし、その問題は「あちら側」と「こちら側」の関係にあるといっている。「すみれ」が象徴的な意味で井戸に入り壁を抜けた時点で「こちら側」から姿を消した。そして抜けた先の「あちら側」は「ミュウ」の「観覧車から見た外」の世界と「母がいる階段の上」の世界でしかないのではないか?そしてそれは「ミュウ」自身、「すみれ」自身にとっての物語の世界でもある。それは「すみれ」が「ミュウ」とコミットしたいと望んだからであり、母とコミットしたいと望んだからだった。そして「すみれ」はおそらく「あちら側」の世界で何事かを成し、そして戻ってきた。傍観者から見れば誰かが突然消えて、そして帰ってきたという風に見えるだろう。
最初の三人称語りが「すみれ」が消えた時点で放棄されて、「僕」の一人称語りに変わっている事で「すみれ」が「あちら側」で何をしたのかは明らかにされない。まぁそもそもあちら側に行ったことすら明らかにされてないわけやけど、それはそれとして…
『ねじまき鳥クロニクル』では井戸に降り、壁を抜け、あちらの側に行き、そして帰ってくる、のは「僕」だった。しかし『スプートニクの恋人』では「僕」ではない「すみれ」がそれを行った。それはいわば「井戸」と「壁抜け」を他者の物語として見る「僕」の物語とも受け取れるのではないだろうか。
おそらく、『スプートニクの恋人』は『ねじまき鳥クロニクル』に含まれるテーマのうちの何か一つ(あるいは複数)を村上春樹が意図的に純化させた物語なのではないかと思う。それは大雑把な言い方をすると「個人の物語性」に関連した意味での「あちら側」と「こちら側」の問題に関係する事である。と俺は思う。それからどういう結論が導かれるのかはまだ俺にはさっぱりわからんけど。
さらに言えばなんか俺はこの本についての見方で根本的な間違いをしているような気もするけど…

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