ハンナ・アーレント『イェルサレムのアイヒマン -悪の陳腐さについての報告-』/アウトサイダーであり続ける事

前のエントリで、ハンナ・アーレントこそ世界と人が「Let it go」であることを許さず、自身は「ありのまま」であろうとした人であると書いた。

しかし、アイヒマンに限らず、ニュルンベルクでの法廷でもナチスの戦犯は決まって、自分には組織の命令に反することはできず、本当はそんな事はしたくなかったのに組織に従わざるを得なかったと、判を押したように弁明した。
個人でしかない軍属である自分は軍隊の中にあって「Let it go」であるしかなく、自身の「ありのまま」に振る舞うことは不可能だった。というわけである。

たしかに、アイヒマンに限らず、ほとんどの戦犯は、おそらくヒトラー本人ですらナチスがユダヤ人に対して行ったような犯罪行為を単独で行うことは不可能だった。
彼が彼自身の凡庸さを超えた事を行うことが出来たのは、彼らが自分の属する組織にあらゆる判断と価値の根拠を預けてしまったこそであることは間違いないだろう。

ハンナ・アーレントはこんな風に人が自分の属する集団や組織の押し付ける価値やものの見方を無批判にそのまま受け入れてしまうことを常に批判し、そのような自由を持つことこそを「人間の条件」とし、またこのようなものを押し付けて抵抗者を粛清するような構造を「全体主義」と呼んだ。
そう、号泣議員の面白さが理解できても、ワールドカップの何がそこまで面白いのかが理解できなくて何が悪いかー!!といっていた人が「夜と霧」と共に忽然と消え、強制収容所や労働改造所やラーゲリに連行されてしまうような世界だ。

組織に属することは、社会的な意味でも、個人の精神的な意味でも安心やら安定やらを与えてくれるものであるけど、ハンナ・アーレントは自身の属する組織に否定され続ける人生だった。

ユダヤ人である彼女はナチスが政権をとったことに危機を覚え迫害を恐れてドイツからフランスに亡命し、亡命先のフランスではドイツ野郎として蔑まれて収容 所に入れられ、フランスがドイツに占領されれば今度はユダヤ人として迫害されそうになり、アメリカに亡命するもずっと敵国の人間として扱われ、そしてこの 本を書く事でフランス時代にシオニズム組織で働いていた彼女がユダヤ人団体にすら否定され、そして最後には多くの友人たちに絶交を言い渡されることにまで なってしまった。

この本を出したことで長年の友人であった友に「ユダヤ人への愛はないのか」と問い詰められて

自分が愛するのは友人だけであって、何らかの集団を愛したことはない

と答えた彼女の彼女の悲しみと苦しみはいかなるものだっただろう。

彼女の師であるヤスパースはこの本について書いた文章で

この本は全体として思考の独立性のすばらしい証言です。
……彼女が哲学的にも思想的にも徹底した、アウグスティヌスの愛の概念についての研究で正学位を得たとき、それもまだごく若く、たしか23歳だったと思いますが、教授資格を得るようにと人々は勧めました。それを彼女は拒絶した。
彼女の本能は大学を拒んだ。彼女は自由でありたかったのだ。

と言っている。

彼女は自分の属する様々な組織に否定されながらも、一方で彼女自身がとことん組織に属することを避けて自由であることを望み続けた人であったともいえる。
彼女がユダヤ人でありドイツ人であり、シオニストでもあったことを「生の所与の一つ」として自己を規定する大きなものだと考えていたのは明らかであるけど、それでも彼女は自身のアイデンティティーを自己の属する組織や集団に移管することはなかった。

結局彼女が組織に属すことも組織にアイデンティティーを置くこともなかったのは、彼女が組織に否定され続けたからか、彼女自身が組織というものを否定していたからなのかは良く判らないけど、それででも、彼女にとって、自身がどこにも属さないことであらゆるものをアウトサイダーとして自由に様々な視点から見ることができたといえるだろう。

この本を読む前に、矢野久美子『ハンナ・アーレント – 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』を読んだ。

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この本で一番印象に残ったのは、これはもしかしたら女性であるということに大きな係わりがあるからかもしれないけど、ハンナ・アーレントが移住者としての自己意識をもちつつも、彼女の問題にしていたことや物言いが今まで読んだ他の哲学者のものに比べて圧倒的に地に着いているように感じたことだった。

彼女が組織に属さず孤独に思考しそれでも何物も恐れず発言し行動することができたのは、彼女自身が誰も持たないような圧倒的な強さを内に秘めていたからだと言いえるかもしれない。
しかし、それでも彼女自身は人間の弱さを決して知らなかったわけではない。

たとえばイギリス人は自分がイギリス人だとしてその権利を守り、その法律を押し通すが、それだけの力のない民族のみがこの人権なるものを盾に取るのだということを、ユダヤ人以上によく知っているものはなかった。

と彼女が言うように、現実的に力を持たないことがどういう運命をもたらすかということは彼女はあまりにもリアルに感じていたし、だからこそ思考を奪い判断を奪いあらゆるものを奪う全体主義的なものをあれほどまでに非難し、最後まで全体主義を拒否する気骨と強さが誰の中にでもあることを信じ続け人々を励まし続けたのだ。

この本の中のレポートが示しているように、占領国であるナチスの提示した「ユダヤ人問題の解決」方法を断固として拒否したデンマークやブルガリアでナチスはユダヤ人に全く手を出せなかったように、勇気を持って自分を否定する組織に対して「否」を表明することは無駄ではないばかりか正義の行為であると彼女は述べている。

社会構造的に組織に属さない人々や、組織に部外者として所属する人々が多くなってきた現代であるけど、そんなハンナ・アーレントの持っていたような、他に縋り付かず自身の足で立とうとする地に足のついたようなモラルとか知性とか論理とか反骨精神は、自身をどこにも属さないもとの考えてしまうような、自己の属する組織に軽んじられ否定され続 け、全体主義社会で虐げられる人々のように押し付けられる人々にとって、眩しく映り励まし勇気付けるものであるような気がする。

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