土屋大洋『サイバー・テロ 日米vs.中国 』/戦闘空間としてのサイバー領域
「サイバー空間で行われる戦闘」について先日書いたので、次は「戦闘空間としてのサイバー領域」についての本はこれ、土屋大洋氏による『サイバー・テロ 日米vs.中国 』(文春新書)を、
タイトルこそ『サイバー・テロ 日米vs.中国 』となっているけど、この本は特定の国と国の争いというレベルでサイバー戦争を見るのではなく、米、露、イスラエル、中国、EU、そして日本が「戦闘行為が行われる場所としてのサイバー領域」をどのように捉えているかについて政治的な視点で書いているということになろうか。
例えばイランの核施設に対する米軍によるサイバー攻撃や特定の国家が他の国家の政府に対してソーシャルエンジニアリングを行っているという事実を、国家間の闘争や単純にサイバー空間でのアタックとしてとらえるのではなく、サイバー空間の軍事的なパワーバランスに関わる政治的な問題として捉えるという風な見方だ。
この本では著者の専門とその立場上、サイバー戦争をITやテクノロジーの見方からではなく、国家的な安全保障の立場から書いていることがポイントであろうと思う。
ITに関する仕事をしたり、日々コンピューターと戯れているとこの種の出来事に対して技術的な側面から見てしまう傾向性が自然に身についてしまうけど、それを政治的に見てみれば全く違う見方が出来る。
昔の科学者は自分が純粋な知的好奇心で発見したり開発したりした何物かが軍事転用されて多くの人を殺したり戦争の道具として使われたことにとても悩んだというけど、一介の技術者だったりハッカーだったりする人もそんな状況に追い込まれる日が来るかもしれない。
ちょっと書いてみたコードだとか、作ってみたアプリケーション、見つけたセキュリティーホール、あるいは自分が開発したり管理したりする自分と関わりのあるシステムやネットワークだとかがサイバー攻撃の手段であったり道具であったり、踏み台であったりボットネットワークを構成する一要素になったりすることがあるかもしれない。
自分のITに関する知識やら技術が高ければ高いほど、自分の関わるサイバー的な何かしらが国家間のサイバー戦争の一要素となる可能性はとても多いのだ。
ITをただ使うのではなく、仕事や趣味でITそのものに対して熱意を持って関わる 人は読んでおいて損は無いと思う。そして、更に言えば、この本に何が書いてあるか、ではなく「何を書いていないか」に注目して読んでみるとまた別の知見が得られるかもしれない。