谷口長世『サイバー時代の戦争』/サイバー上での日常は前線でもあるのか?

先日から「サイバー空間で行われる戦闘」、「戦闘空間としてのサイバー領域」「通常戦闘に不可欠な空間としてのサイバー領域」についての三つの本を紹介すると書いたけど、最後の「通常戦闘に不可欠な空間としてのサイバー領域」に関する本がこれ、谷口長世著『サイバー時代の戦争』である。

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この本は米軍によるものといわれるイランの原子力施設にウィルスを送り込んでダウンさせたというような直接的な「サイバー戦争」だけでなく、物理的な通常戦闘がどれだけサイーバ領域の支援を受け、どれだけサイバー依存になっているかという話である。

例えば無人攻撃機や偵察機、或いはGPSや早期警戒管制機を使った戦闘支援システムは完全なサイバー領域を前提に成り立っているし、

イランに無傷で鹵獲されたアメリカの無人機はサイバー攻撃によって制御を奪われて着陸させられたとか、イスラエル軍は部隊の侵攻前にレーダー網やら支援システムに対してサイバー攻撃を仕掛けて作戦行動を有利に進めるとか、そういう話である。

そして、サイバー的なオープンソース的な考え方を元に、NATO軍が各国ごとに維持している軍の部隊やら通信や支援や補給のシステムやらを、共同作戦を行う時に直ぐに接続して情報共有して連携をとれるように、末端をネットワークとして接続する際のプロトコルや仕様が米軍主導で共通化されたというあたりが印象的だった。

通常の戦場なら戦闘領域があり前線があり後方があるわけであるけど、サイバースペースにはその区切りは全く無いし、 そしてそれは、サイバー世界のディープな部分に浸っている人なら誰でもが肌で感じているであろう、戦場や前線としてのサイバースペースがどれだけ日常と一体化しつつあるかということをこの本は示しているように思う。

と、大層に三回に分けてまで本を紹介したけど、要は日常の整合性と日常の安全そのものが如何にサイバー上の平和を前提に成り立っており、そして平和的なサイバースペースと前線としてのサイバースペースの境界があいまいになりつつあるかということが言いたかった。

今、複雑系の本を読んでいて、その中に一次元セル・オートマトンと呼ばれる、隣り合ったもの同士の相互作用で自己変革して行く系が時間を立てばどうなるかというのが4つのクラスに分けられるという話があった。

それは、時間が経てば全くの0か1のどちらかで全てが埋め尽くされる「全てが同じ」クラス1、特定の部位にライン上にデータが集中する「特定の部位に全てのデーターが集中する」クラス2、常にまだら模様が動き回る「常にデーターが流動するカオス」のクラス3、そしてフラクタルのような模様を描きながら成長したり縮小したりする「複雑適応系の生息領域」とみなされるクラス4に分けられるという。

インターネットのようなネットワークは明らかにそのクラス4の「複雑適応系の生息領域」で解釈されると位置付けられていると思うけど、サイバー上の混乱に収拾がつかなくなれば、サイバースペースだけでなく、世界そのものに対して「全てが同じ事を考え同じ事を感じる世界」のクラス1、「特定の部位に全てのモノと権力が集中する世界」のクラス2、そして「常にモノと権力が移動しつづけるカオスな世界」のクラス3にでもどのようにでもなるような気がする。

と、なんか無駄に大げさで中二病な話になってしまった…

 

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