「やおいちゃん」で象徴について考える
前回紹介した「やおいちゃん」であるが(未読の方はこちらを参照)、ネット上で色々と先行研究をあさったところ、思った以上に知名度が高い。
個人的にはデスピサロの第四形態に酷似している。という説に感心したけど、2006年度に生まれてからと言うもの、雑誌、テレビ、各メディアへの登場多数、グッズ展開されたものやDVD、書籍に至るまで中々に売れており、最近でも公認ブログのアニメ化が断念されたニュースが伝わるなど勢いは中々衰えていないようである。
この「やおいちゃん」は商店街のイメージキャラクターとして生まれたけど、これだけ話題になったおかげで商店街は賑ったのだろうか?という疑問が湧いてくる。
私はこの商店街の近所に住んでいるけど、お世辞にもこの商店街が前よりも賑っている印象は全く無く、私が学生時代の雰囲気となんら変わらないような気がするのだ。
この「やおいちゃん」の全国的な知名度と言及のされ方と、このどこにでもあるような商店街の雰囲気にかなりのギャップを感じるのである。
この私の印象はある程度正しいようで、一年以上前の記事ではあるが、各メディアで取り上げられて、それなりの知名度を誇るわりには、「商店街自体の売り上げが伸びたとか、来街者が目立って増えた、というところまではいっていない」と当時の同商店街振興組合理事長がコメントしている。
今の段階でどうなっているのかはちょっと調べ切れなかったけど、一番話題となっていた当時でそうなのだから、現在でもそうではないかと、ある程度の予想は出来る。
当然ではあるけど、このニュースから商店街のキャラクターの話題性と、商店街自体の商店街としての集客力とはまた別の話であることが読み取れる。
一般的に言って、ごく少人数の集団から国家に至るまで、何かしらの団体と、そのシンボル自体の価値の逆転現象が、良い状況を生み出すことは少ないように思われる。
イメージキャラクターは商店街の象徴に留まるべきであり、商店街自体がイメージキャラクターの付随品となってしまうのは、商店街にとって好ましい状況とは言い切れないのかもしれない。
また、私が「やおいちゃん」を知ったこの看板には「みその橋通りを美しく」と「飛び出し注意」の二つのメッセージが含まれている。
しかし、ひとつの看板に二つというメッセージの冗長さも加え、実際に我々がこの看板を見た時に受け取るのは、このイメージキャラクターの強烈な印象だけになってしまう。
文字の大きさと主張の正当性から考えるに、本来なら「やおいちゃん」は「みその橋通りを美しく」こそを主張したかったのではないだろうか。
しかし、彼は「飛び出し注意」とも言っている。
なぜこの「飛び出し注意」も主張する必要があったのかという疑問は、この看板を「みその橋通りを美しく」のみの主張で掲げた場合に、あまりにインパクトのあるこの看板が、前方不注意を大量に生み出してしまう原因となりうることは容易に予想できるわけで、自分の存在が潜在的に事故の原因となりうつことを理解しているからこそ、あえて冗長になるのを理解したうえで、飛び出しに注意しろと警告したのかもしれない。と想像できる。
それならば最初から看板に出てこなければいいだけの話なのだが、どうせならこれだけメジャーなキャラクターなので使いたいし、「みその橋通りを美しく」も主張したい。
主張したいこともあるけど、自分が事故の原因になるのは心苦しい。それならば自らが原因になるであろう事態をあらかじめ警告しておこうと言うわけで、自己顕示欲やモラルや使命感などの、なんとも複雑な苦悩と葛藤がこの看板から読み取れる。
あまりにインパクトの強すぎるキャラクターはキャラクター自身しか注目されないようで、そのキャラクターの主張であったり、そのキャラクター自身が象徴しているそのものへ注目は逆にそれる傾向にあるのだろう。
「やおいちゃん」の看板から読み取れる苦悩や葛藤は、こういった、あまりにイメージキャラクターが先行しすぎたプロジェクトの持つ苦悩や葛藤をも表しているように思えた。
と、話が何処に行くのかわからなくなってきたので、
モーゼの十戒に「偶像を作ってはならないこと」とあるのは、中々意味深い話である。
と強引にまとめてみた…
なんと、そんな昔にそんな本まで持ってるとは、流石ですなぁ。
でも、全く知らなかった自分にびっくりです。(-_-;)
めっちゃ笑けました。(*^o^*)
確か3〜4年前。
アキバ君がそのキャラの本を持ってましたよ。