王将のイデア / 蝿の王

同じ系列のお店でも立地と店舗によってまったく雰囲気が違うことが良くあるが、最近やたらと綺麗な王将に慣れていたせいか、昔ながらと呼ばれる王将の厨房を眺めるカウンターに座って激しくカルチャーショックを受けた。
店主が咥えタバコでサラダのレタスを剥く、中華鍋を洗う布巾が限りなく黒に近い色の茶色をしている、どうやればこれだけ汚れるのか疑問に思う厨房、汚いと綺麗といった程度の差を問う比較の概念を超越した汚さ。他者に頼らず自ら自立的に汚くある汚さ。汚いのイデアがそこにあった。我知らずイデア界に接した感動を覚える。
さらに出てくる量がやたらと多い。艦載機を満載した航空母艦のごとき装備である。巨大な大皿に大量のキャベツ、ご飯などドンブリ鉢でごっつぁんです。そして餃子がとても美味しい。この汚さの中から生まれる餃子は、腐海の海から生まれる蟲たちのように美しい。ランランララランランラン。
ひたすら餃子の美味しさを突き詰めた結果そのほかの価値を放棄せざるを得ない姿勢はストイックですらある。と思っておくことにした。そうこの姿勢が王将のイデアであろうか。
そんな我々の頭上を大きな蝿が飛び回って蛍光灯にぶつかっている。よっぽど良いものを食べて育ってきたのか、丸々と太って「こじんまりしたマルハナバチ」くらいの大きさの冬のハエが我が物顔に飛び回っている。このハエの大きさにとても驚いた。森へお帰り!!
梶井基次郎的「冬の蝿」とおおよそ対極の位置にある冬の蝿の王が見送る中を店を出て、限りなく有機的になった口直しのためにスタバに行ったのだが、いつもはなんとも思わないスタバの、件の王将とは「飲食店」という同じカテゴリーで括るにはあまりにもかけ離れた雰囲気のギャップにクラクラしたのであった。



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