肉鍋 / 「ご飯を食べずに残さない」のパラドックス / 頬袋

二週間連続で同じ肉鍋(というかモツ入り肉鍋)屋さんに行った。
この肉鍋屋さんはお気に入りのモツ鍋屋さんの姉妹店であり、そのモツ鍋屋さん同様にだしが特にとても美味しいのだが、やたらと量が多い。
普通ちょっと量が多いくらいならウェルカムであるが、これはもういくらなんでも多すぎるという量である。
まず持ってこられた段階での山盛り具合に圧倒されてしまう。誇張でも比喩でもなく、まんが日本昔ばなしにありがちな山盛りご飯並である。
食べても食べても減らないラーメンというのは良くあるが、食べても食べても減らない肉鍋というのはあまり無い。
この私がギブアップしそうになるくらいの量であるから相当の量である。
先週は最後の雑炊含めて何とか食べられたけど、今週は雑炊ではなく「そば」を注文した。
しかしこの「そば」、やたらと量が多いうえにただ鍋のだしに入れるだけでなく、さらに濃く味付けまでして、水分がなくなるまでひたすら煮込む。
出来上がりは殆どヤキソバで、確かに美味しいのだが、やはり量が多すぎる。
他のお客さんを見てみるとやはり量が多いようで「そば」を注文した人の殆ど全てが食べきれずに残しているようである。
私は食べ物屋さんで食べ物を残すということが出来ない貧乏性なもので、全て残さずに食べたが、限界量を超えていたようで気分が悪くなってしまった。
本当は残せばいいのだが、残したくない。
かといって食べて気分が悪くなるのは本末転倒である。
古代ギリシャのパラドックスか将軍様から一休さんへの無理難題のような「ご飯を食べずに残さない」という命題を解く方法が一つだけ存在する。


それは、某友人のようにこっそり持参したタッパーに入れて持ち帰るという頓知でもなんでもない手段なのだが、流石にいつでもタッパーを持っているわけではないし、何より良いおっさんがそれをするわけにはいかない。
イギリスの笑えないコメディーでよくあるように直にポケットに入れる方法もあるが、後で服を洗濯する事を考えれば現実的ではない。
生物に元々体に備わっている食糧貯蔵庫といえば頬袋しかない。
リスのように頬袋があれば残さずに食べ物を頬袋に入れてルンルン持って帰れるではないか。
頬袋は食べ物を貯蔵するだけではない、更に他にも色々と便利に使えそうだ。
うん。頬袋があればいい。頬袋欲しい。頬袋はいいものだ。
なぜ人間に頬袋が無いのか!頬袋が無いのは間違ってる!
と思ったが、ええ年して本気で頬袋を欲しがって憤慨してることの方がよっぽど間違ってることに気付いたのであった。

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