電柱に何事かを報告する老女/狂気センサー

そういえば一ヶ月以上前に、正確には下鴨神社の御手洗祭りに行くために近くのバス停でバスを待っている時に、道を挟んだ向かい側の歩道をお婆さんが犬を連れて歩いていた。
私が見るとも無くそのおばあさんと犬を見ていると、おばあさんは突然立ち止まって電柱に向き直って身を寄せ、額をっくっつけて耳打ちするような格好になった。
おばあさんの口が何かしゃべるように動いているので何かをつぶやいているのだろう。
そのおばあさんは電柱に向かってひたすら何かを喋っているようだった。
犬はお婆さんが立ち止まって電柱に向かって喋っている間、ずっと正面を向いたまま止まっていた。
お婆さんがひとしきり電柱向かって呟き、また正面に向かって歩き出すと、その犬もまたおばあさんに歩調を合わせて歩き出す。
バスが来る間ずっとそのおばあさんを見ていると、おばあさんは電柱の横を通り過ぎるたびに立ち止まって電柱に向かって囁き、犬は歩みを止めてお婆さんが囁き終わって歩き出すのを待っている。
どちらも結構な年に見える老女と老犬にとって、電柱に囁きかけること、電柱に囁きかけている間はだまって止まって待つこと、それが当たり前の日常であるような、何の違和感もためらいもない、何回も何回も、とても長い間繰り返され続けられてきたような、彼女たちにとってはあたりまえの行為に見えた。
見ているとお婆さんは電柱と会話しているのではないような気がした。なんというか、電柱とのコミュニケーションが感じられないのだ。
お婆さんは電柱に向かって一方的に何事かを囁きかけているように見える。
とても真剣な顔で電柱に向かって囁きかけるその姿は、何かとても大事なこと、あるいは確実性を持って行うよう義務付けられた何事かを電柱に向かって報告しているのではないか?となんかそんな風に思った。
根拠はないのだが、何となくそんな気がした。


お婆さんの行為はまぁある意味ではよくありそうな行為ではあるけど、私はそのお婆さんではなく、その犬の動きに心を打たれた。
お婆さんが電柱に向かって喋っている間、犬はお婆さんの方を見上げもしないし、お婆さんを引っ張って歩き出そうともしない。
ぴたっと動きを止めて、そのままの姿勢でお婆さんが歩き出すまで待っている。
その犬がとてもよく訓練されているというよりも、その犬がそのお婆さんが電柱に向かって喋るということが、介入も邪魔も許されないとても大事な行為であることをとても尊重しているように感じられるのだ。
お婆さんは電柱になんかじゃなくってその犬に対して報告すればいいのに。
電柱よりも軽んじられているように見える犬と、その思いを尊重しているように見える犬と、そうせざるを得ないお婆さんを見ていると、なんだかじわじわ胸を締め付けられるような思いにとらわれていったのだが、
私と同じバス停でバスを待っている人も、犬を散歩しながらそのおばあさんとすれ違う人も誰もそのおばあさんの行動に驚く人はいないし、注目するそぶりも見せない。
おばあさんと犬自身にとってだけでなく、この近所の人にとってもこのおばあさんと犬の行動はなんてことはない日常なのだ。知らなかったのは私だけだったのだ。
とその時は思っていた。
バスに乗っておばあさんと犬が視界から消えると、すぐにその事は忘れてしまった。
そしてそれから一ヶ月ほどが過ぎた後、盆休み中の出勤日、午後から出勤する途中に、再びそのおばあさんと犬を同じ道で見かけた。
電柱に向かって囁き終えて歩き出した直後のおばあさんと犬の真横を自転車で通り過ぎたのだ。
私はそのおばあさんをまじまじと眺め、ちょっと愛想よく笑いかけもしたのだが、そのおばあさんは私のことなど完全に無視。
なんや愛想悪いなーと思いつつも自転車ですぐに通り過ぎたので、その日もすぐにそんなことは忘れてしまった。
そして今日、同居している両親と喋っていてふとこのおばあさんと犬の話が出た。
正確には私があのおばあさんと犬はどこの人なのだと尋ねたのだが、
父も母もそんなおばあさんも犬も知らないし見たことも聞いたこともないという。
害はないもののちょっとした奇行で明らかに目立つだろうし、それにバス停の時の周りの人も全く珍しがっていなかったので、近所では有名な人なのだろうと思っていた。
父も母も昼にお婆さんを見た場所あたりを歩くこともバスに乗ることも多いので、たとえどこの人だとは知らないまでも一度くらいは目撃したことはあるだろうと思うのだが全く知らないらしい。
なんだ?そのおばあさんと犬を見るのは私だけなのか?
そういえば去年「夜中に憤怒の形相で鎌を持って走るオッサン」、「逆靴のような髪形をした壮大な物語の中にいる人」を見た。
思い起こせば大学時代、私はやたらと授業で見かけたり、ことあるごとに私のそばを通り過ぎてゆく、いつも一人で笑っている女の人がいるのに気づいていた。
私はその人を心の中では密かに「ワロてる人」と名づけていたのだが、
いつも一緒にいる友人たちは「ワロてる人」の存在に全く気づいていないようだった。
「いつもワロてる人いるやん」「誰?全然わからんわ」
「あれがワロてる人」「ん?ワロてないやん」「今は笑ってないけど、いつもはワロてるねんて」
という感じの会話が幾度と無く繰り返されていたのだ。
やっぱり私は昔から、他の人が気づかないそういった人を良く見かけていたような気がする。
私には他人の狂気を敏感に感じ取るセンサーみたいなものがあるのかもしれない。
それは自分自身の狂気と共鳴しているだけやーなどとは思いたくないけど…
最近よく「電線類地中化工事」ってのを良くやっているが、それがもし近所で始まったら、その電柱に何事かを報告するお婆さんにとっては良いことなのか悪いことなのかどちらなのだろう。

4件のコメント

  • おもしろかった。こういうおもしろい記事は横流しすべし、と要請する。^^

  • いやいやいやーありがとうございますです。
    んでは横流ししときますです。

  • こんにちは
    勤務先で見かける『おばあさんと柴』を思い出しました。
    勤務先の、出版社が建ち並ぶオフィス街は20時過ぎると人通りがほとんどありません。
    若干ビクつきながら駅に向かうと、突然アルミのドアに歩道を塞がれ、隙間の民家(?)から元気よく柴が走り出ます。
    リードの先には、90度腰のおばあさん。
    もちろん走れませんが、
    ズズートッ
    ズズートッ
    と、もろ引きづられてのお散歩です。
    でも転ばないし、リードも決して離しません。
    犬は前だけを見て、必死に出来る限りのスピードを求めます。
    終始無言で引きづられるおばあさんは、『電柱おばあさんと犬』の立場と逆な気がしませんか?
    見かけると、いつもほっこりした気分になり、仕事の疲れが少し軽くなりますが、最近、勤務時間が変わって見かけなくなりました(TT)
    思い出させていただき謝♪
    ちなみに、このおばあさんはリアルで、社でも認知されてます(*^^*)

  • 確かにどっちが散歩されてるのかわからない様な『おばあさんと柴』は『電柱おばあさんと犬』のと逆の立場に見えますね(w
    見かけなくなって寂しい気持ちになるのも良くわかるような気がします。
    そういえば昔、いつも犬を手押し車のようなものに乗せて散歩していたおばあさんがいたなぁ…

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