呑んでも呑まれたくはない。

今日も家に帰ってひたすら音楽を聴く。
音楽にせよ本にせよコンピューターにせよその他の事にせよ、どんどん慣れて新しい物や強い刺激の物を求めるようになる傾向はいまいちエレガントさに欠けるような気がする。
まぁ人生やとか成長なんつーもんは多かれ少なかれ強い刺激や新しい物を求めてゆく過程やという見方もあるけど、世のエラい人は大体「中庸」なんて事を言うわけで、「どこまでいくのか」って所の引き際が肝心である。


ルートヴィヒは貪欲に何かを求めてる感じがひしひしと伝わってくるけど、J,S,バッハは満足したまったり系のように思えるわけで、そういう「まったり感」てのはあまり「ひしひし」とは伝わってこない種類ものである。
音楽というのはある意味で麻薬的なところがあってそれを求める事が多いからして、その「ひしひし度」という部分で伝わってくるものが少ないバッハはあまりアピールさに欠けるように思うけど、それでも満ち足りたバロックな和音の醸し出す中庸の匂いは俺にとってはかなりまったりで、非言語的な井伏鱒二とか武者小路実篤な雰囲気がするのである。
まぁ、ルートヴィヒが音楽を自己表現と捉えていたのに対して、バッハは完全に貴族やら教会に従属するものと捉えていた違いなのかもしれんけど。
で、前日の「拒食系」「過食系」ネタと繋がってくるのだが、この不肖土偶は明らかに極端でやりすぎの傾向がある「過食系」である。
最近は特にやたらと色んな物を詰め込まれて脳に負担がかかり、そろそろ空回りし初めてホイルスピンにエネルギーを使ってるような状態な気がする。
うむこれではイカンちょっと休まなければ。と最近思うのだが、逆に(出来るかどうか別にして)「拒食系」を志向するにしても、逆方向に極端なだけでスカラ値は変わらんと言う事になる。
なるべくなら無駄になってる部分を削ぎ落とし、価値のある部分があるならそこを鍛えたいと願うわけで、そういう意味でとりあえず「満腹系」ベクトルの方向になるべく向かないようにして「ダイエット系」を目指してみる事にした。

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