『重力の虹』の重力

金曜日の夜に9時10時というレベルの早寝をして、次の日の土曜の朝、眼が覚めたのが心底残念になるほどの夢を見ていたことに気付く。これほどまでに眼が覚めたことを後悔したのは久しぶりだ。
起きてから昼過ぎまでに犬の本を一冊読み、感想をブログにアップしていよいよトマス ピンチョン『重力の虹』に取り掛かる。
6ポイントくらいの小さい文字の上下2段組の500ページあまりの2巻構成。ドンキホーテよりは短いやろうけど、これは凄い量だ…
いざ読み始めるものの、これはしんどい。本を読むのは快楽であるだけでなく、苦行の一つでもあるという事を思い知らせてくれる。
と、ちょっと待て。俺は楽しみのために本を読んでいるのではないのか?
読むたびに意味がぽろぽろと脳のしわの間をこぼれ落ち、言葉の渦の中で溺れそうになり、ふわふわした眠気に包まれて気が遠くなる。
これがこの分量続くのかと思うと何ともにんともかんとも。ニンニン。
「トマス ピンチョンに通常の読書術は通用しない。言葉の意味を理解しようとするのではなく、意味を捨てて、言葉を知覚して感じるのだ」などと格闘系少年漫画やセカイ系ロボットアニメにありがちな台詞を自分に言い聞かせながら読み進むも気がつけばぐっすりと寝ていた。
昼日中に目覚めて「あぁ、これは全部読めないかも…」と久しぶりに本相手に怖気づいた。
夜再び『重力の虹』にまみえるも、またしても10時11時のレベルで惰眠の世界に引き擦り込まれて気を失う。


そして日曜日。
早朝に目覚め、昼ごろまで再び『重力の虹』と不毛な戦い。
昼過ぎたので四条まで散歩に出かけるか出かけんかどうしたもんか。特に欲しいもんも見たいもんもないし微妙に天気もわるそうやし、25日やし天神さんにしておくかどうしたもんか。
とうだうだしているうちに夕方。
外出は諦めて再び『重力の虹』に向かう。
なんと幸せな週末であろうか、しかし、また別の見方をすればなんと不毛な週末であろうか。
それ以前にこんな個人的な事をこんな場所に書く事の不可解さと無意味さはどうだろう?俺は世界に対して、他人に対して、親愛なる人々に対して、一体何を知らしめたいのだ?
これら全ては『重力の虹』の難解さや退屈さに対しての修飾語句であるとしておこう。『重力の虹』は週末の全てを幸せにも不毛にも替えうる難解さと退屈さを持っているのであると。
うむ、上手くまとまった。
しかして一体このブログはなんなのであろうか?日記と愚痴と悪口と技術文書と読書感想文と自転車小話とブックレビューで構成されたカオスであろうか?
いずれにせよ、往来にすっぽんぽんになって大の字に寝転んで見せるのを自己表現とのたまい、人目の中での排泄行為をカタルシスと言い張るような輩にも、そんなブログにもしたくないと思う日曜の夜であった。

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