シュレーディンガーの土偶

蟻一匹逃がさぬ絨毯爆撃でなんとか仕事を片付けて、帰りに図書館に寄ったら閉館時間が過ぎていてがっくし。
単調で低空飛行で息絶え絶えの毎日から殆ど唯一の楽しみが奪われて何ともモチベーションが下がり、とぼとぼと自転車を漕ぐ。
別に誰かが悪いわけでもないのだが、あえて責任の所在を探すと自分が悪いくらいしか思いつかず、思考と感覚のループは負の方向へ核分裂のように加速する。
誰かのせいにしようとするのをやめればよかったと思うも時すでに遅し。「あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。」
正の感情や負の感情やら中間的な感情やらをぶつける相手が自分しかいないというのは、やれやれのよれよれである。
こんな事くらいでダメージを食らってる自分もやれやれのよれよれであるが、エネルギー準位が低い状態にあるものは、外部からのほんの小さな力によって状態が大きく揺らぐものなのだ。
特に図書館で予約していた本を受け取る事ができなかったところで現実的なダメージがあるわけでもなく、予定していた事ができなかったという事実が気に食わないのであろう。
何も考えずにあるがままを受け入れていれば痛くも痒くもない状態のものを、内に内に向かってつきつめてゆく事でダメージが生まれてくるようなこの感覚は、自分を「見る」ことによって自分の状態が決定されてゆくような変な感覚だ。
自分がどういう状態にあるのか。というのを思い出した出来事であった。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。

PAGE TOP