閉じた系のエントロピーは減少しないらしい
2007年5月26日
休みだと言うのに早くから起き、午後から図書館に本を返しに行き、久しぶりに会った色々な人と喋り、図書館でちょっと本を読み、スタバでコーヒーを飲み、夜から魚を食べる。
久しぶりにこんなに美味しい魚を食べたような気がする。
人間関係を自分の努力なしで他人の善意と同情にのみに依存して成り立たせているのは、逆に人徳とも言えるし、そこまでリスクを背負い込んで思うが侭に振舞う様に羨望の念すら覚える。
そういった、自分を他人の目で見てみるという視点の根本的な欠如は、ある意味では自と他の境界線の曖昧であることを表しており、私が鬱になれば世界が鬱になり、私がスネれば世界もスネるといった幼児のごとき世界観に近い。自らの言動が世界に及ぼす影響に関する配慮は皆無である。
自らの狭い殻に閉じこもって、そこから外を世界と見なさず辺境に追いやってしまうやり方は、ある意味では鉄壁の精神的防御となるけど、その代わり内部の廃棄物や毒素も外に出て行かないことになる。
負の生成物が濃縮されてゆくことで、世界が縮小してゆき、そしてまた負の生成物が濃縮され…といった負のフィードバック回路を見るのはなんともやりきれないものがある。