古くて遠かった海

海三連戦最終日は、両親に小学校の頃に良く連れて行ってもらった場所、15年くらい前に古くからの友人と行ったのを最後に訪れていない辺鄙な遠い浜へ繰り出す。
一年で一番海水浴人口の多い時期と曜日だったこともあり、記憶にあるような秘境感溢れる雰囲気と人の少なさは無かったものの、相変わらず辺鄙で開発の手は殆ど無く、石英質の砂は綺麗で、そして何より、記憶にある中でダントツに透明度の高い、不気味なくらい綺麗な海水であった。何しろ4メートル下の海底を泳ぐシロギスやホウボウがはっきり見えるくらいである。
この浜自体だけではなく、この浜の付近の地域は、遠い事もあり最近殆ど行っていなかった。
しかしながら小学生の時に両親に連れられて海に来た記憶の中では何故かこの付近の映像やら雰囲気が多く、この辺りを車で走っていると色々な事をフラッシュバックするように思い出した。


本格的に魚突きを始めてからの「海」は突き自体の成果となる魚影の濃さとアクセスしやすさと言った地理的要因を鑑みて、私自身の経験と感性と理性によって選び、また海から招かれた場所であるけど、この「海」は私の経験や感性や理性から先天的に先立って私にとって「海」である。
直置きしたバーベキューコンロで熱せられた砂の上を素足で歩いて足を火傷すると言うアクシデントがあったものの、海三連戦の最後を飾るにふさわしい素晴らしく綺麗なあまりにも懐かしい海であった。
海底まで潜って辺りを見渡す。見渡す限り延々と続く綺麗な砂浜と海面は視界の限界で真の青に混ざり合い、海底と海面は8月の太陽が作り出す漣が写って美しい。
ウシノシタ、ガザミを申し訳程度に捕獲し、ちびっ子ヒラメが沢山いるのを確認する。
水も浜も砂も綺麗、そして辺りの景色は絶景である。私が心臓手術を終えて外に出られるようになり、生まれて始めて浸かった海がここであり、初めて水中眼鏡とシュノーケルを使って海の中を眺めたのもここである。この海は私にとって「海」の原風景のような場所でもあり、プレデター土偶の本当の原点とも言うべき場所かも知れない。
そう考えると、何か様々な経路を辿って、色々な海や何やかやを知って大きく成長してスタート地点に戻ってきたような気もして、色々な意味で感慨深い。
帰り道、これまた最近殆ど使わなくなった「懐かしい」に属する道を通って京都へ向かい、カーステから流れるマイルスの「BYE BYE BLACKBIRD」に合わせて口笛を吹きながら人生の不思議さを思った。

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