睡眠の合間に

ひたすらダラダラと過ごした日。
昼くらいに起きて音楽を聞きながら布団に寝転んで本を読み、眠ったり起きたりを繰り返す。
普段働いているからこそこういう時間を至福の時間であると感じることが出来るけど、引きこもっていたり無職だったりすると、こういう時間の過し方は自己を苛む原因にしかならないのだろうとふと思う。
「毎日が日曜日」と自虐的に言ったりする人がいるけど、幸福感であるとか開放感であるとかいった「快」の感覚は、起こりうる頻度であるとか日常に対する割合であるとかの時間的な希少性だけで測られるのでは無く、自分の置かれている外的な環境も大きな要因になっているわけである。
まぁ当たり前の話ではあるけど、そう思っておけば、たとえ不満しか抱き得ない現状にあったとしても、世界をそれなりに柔らかく見る事はできるんじゃないだろうかと思った。

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