戦場に架ける橋
2007年10月12日
この日をもってクラッシュしたシステムの機能はほぼ完全復旧した。土日もちゃんと動いていてくれることを願って自転車に乗って仕事場を後にする。
ツバス3匹、秋刀魚3匹、豆腐、ゴーヤー、合挽きミンチ、卵を買い求め、気分良く宴会に繰り出す。
六匹の魚を持参したmy包丁で全て刺身にする。これだけの量のを捌いたのは久し振りだ。秋刀魚は当然ながら、小さいながらもツバスまで良い感じに油が乗っていた。
他人の善意を前提としつつ他人を拒絶する行為は、他人から架けられた橋を焼く行為である。三顧の礼を以って迎えねば成らぬものを果たして友と呼ぶ事が出来ようか?それ以前に、この世の中に三顧の礼を持って迎えてくれる人間と、迎えるべき価値があるものなどほとんどないだろう。
一方で、他人の前で自分を曝け出す行為は、いうなれば他人に橋を架ける行為である。架かった橋を軍隊が通るのか隊商が通るのか、それともただの酔っ払いが通るのかはまた別の問題である。その先は当人と言うよりも橋をかけられた者の問題になるであろう。いずれにせよ手段はともかく橋を架ける事自体はほむべきかな。可能性に臆することなく「開かれる」精神はほむべきかな。最高のモノと最低のモノのちゃんぽんであるカラマーゾフ精神はほむべきかな。
とにかく、食べきれない程の食べ物と、飲みきれないの程の飲み物、無駄に罵り合い罵倒しあいゲラゲラ笑い合いとても楽しかった。
そしてそんな愉快な仲間のケダモノ達がいる私は果報者である、と思いつつ家の前の劇坂を登った。