ダウナー系内的2007年観

一年を総じて考えて見るに、私を取り巻く内的環境は大きく変わった。ある意味でのなんたらクライシスは過ぎ去ったと言えよう。
この一年で私自身は大きく変わったと思う。一方で全く変わっていないとも思う。明らかにお互いを否定しあう対立する二つの矛盾が幾つも自分の中にあるのを強く感じたし、たぶん人間はそういったものなのだろう。
自分がそういった存在である事がわかったとしても、それが表に出て現象しない限り他人にほとんど何の関わりも無い事も良くわかった。
自分は他人に一貫性を求めるし、他人は自分に一貫性を求める。私は私自身に一貫性を求めつつも、私は今の私を否定して私では無い何者かになりたいと常に思い続けているのが矛盾でなくてなんだろう。


自分の弱さや自分の傷を自分の証として振りかざすのは余り趣味のいい事ではないと思う。
自分の弱さや自分の傷に開き直ってしまうのは何ものかに溺れ何ものかに呑まれる者のする事であると思う。
生きるからには、加齢するからには、私の思う方向に精神的に成長したいし進歩したいと思う。可能なら自分の弱さや醜さを克服したいと思う。なぜならそれが何よりも他人と自分を傷つけるからだ。
それらが本当に克服される事と、それらの克服を試みることは全く別の次元の話である。
自分の欲望はすべからく他人の何物かを傷つけて損なっている。誰しもが喜びそうな「オムレツを作りたい欲求」でさえある場合にはだれかを傷つける事をはっきりと自覚している。
人を傷つける事が人間の本質のもつ属性であると言う事を概念として受け入れられても、おいそれと自分自身にそれを適用できようか。
問題は想像力にある。人間一般としての自分が人を傷つけ得る存在である事を認めるのと、自分が具体的にどうやって人を傷つけているのかを知る事の間には大きな隔たりがある。と思う。
ある人の言う事が信頼の置ける言葉で信憑性と説得力があるかどうかは結局その人自身がそうであるかと言うところに大きく関わっている。
だからこそ、少なくとも自分で自分を納得させるために、自分をある程度信頼できるものと思えるようになりたいのである。
自分自身の矛盾を救いがたいほど強く深く感じた年であり、自分自身の成長をとても強く深く願った年であった。

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