黒沢清「CURE」(1997/日)
2007年最後に観た映画は黒沢清の「CURE」となった。
首から胸にかけてをX字に切り裂かれて殺される殺人事件が続発し、それぞれの犯人がそれぞれの現場ですぐに逮捕される。
犯人たちはお互い何の関係も繋がり無くなぜそういう殺し方をしたのかもわからない。
やがてそれらの事件に関わりがあると思われる男が拘束され、その事件を担当した刑事と精神科医がその男を尋問するうちに事件の裏にあるものに徐々に気づいてゆく。という感じのサスペンス映画である。
映画全体を覆っているなんともいえない緊張した不気味さがたまらん。効果音の無いコミカルな音楽の中、引きの遠景の中で行われる殺人シーンもなんともたまらん。殺人やらなんやらの一般的に「異常」と言われるものが余り日常に溶け込みすぎてくらくらする。
やっぱり一番怖いのは人間だった。っていうホラーが一番怖いと常々思うけど、さらにこの映画は誰でもが一番怖くなりうる。という意味でとても怖い。観ている私までおかしくなりそうである。
タイトルのCUREは「癒し」って意味で、この映画の言う癒しとは、自分の中にある両極端の分裂や矛盾を便宜的に正邪に分けた上で、邪の方向性に自分を位置づける事で「本当の自分」なるものに戻ると言う事らしい。
「本当の自分」なる胡散臭い概念は別にして、分裂した自己をどちらか一方に統合させる事でその分裂やら矛盾の解決とするのは、何の解決にもなっていないのが良くわかった。
そんな感じの安易過ぎる癒しは、ただ社会性やら日常性からのダイビングにしかならなくて怖い怖い。である。
自己矛盾はそれらの対立するものの止揚と言うと安易過ぎるけど、そういった類の方向性で解消させる事が出来ればいいなと。そもそも解消が必要なのか??とこの映画を観る事で今になってそう思った。
まぁ自己の分裂とか矛盾とかいった話は、私にとってとても2007年的と言えるかもしれない象徴的なものかもしれない。
良くあるサスペンスな映画とは全く違った変なところから怖さがじわじわ来るような映画であった。