海に橋はかけられない

昨日、古い先輩を送った。特に仲が良かったわけじゃないけど、共通する部分はとても多いし、言い方は悪いけど、社会的にも心情的にも二人とも同じ「枷」にはまっていた仲間である事をお互いちょっと意識していたような気がする。
彼の行く末を聞き、私が最近読み始めた彼の専門である中世後期の神学者の話を聞かせてもらい、その他色々な話を聞いて何ともしんみりした。
今年度は、先輩も後輩も同輩も去って行く人が多い年であるかもしれない。
色々なものが根本的に損なわれて流れ去って行くかもしれない。
過去にかかっていた橋がいくら焼けてもかけられる限りかけ直せばいいけど、さすがに川が海になってしまえばもう橋はかけられない。焼けた橋に綱を渡してくれた友に幸あれ。
もう会わないかもしれないけど、去って行くみんな、去ろうとするみんな、元気でね。


人気ブログとなると記事をアップするたびにとてつもない量のコメントがつくものやけど、そのブログ主がそのコメントの全てに真面目にお返事を返されている様を見て、そのお人柄に何とも心を打たれると同時に、とても大変そうだなぁといつも思っていた。
そういったブログにコメントを書きたいなぁと思っても、そのままスルーされればいいけど、多分私のコメントにもブログ主自ら丁寧にお返事を下さるだろうから、なんだかそんなお忙しい人に暇人である私への返事で貴重な時間を取らせてしまうのが申し訳ないなぁ。ということでコメントを書くのに二の足を踏んでいた。
とは言いつつも、こちらはコメント頂きつつもこちらからは差し上げないのはとてもとても失礼にあたる(であろうと思う)のでずっと前から気にもなっていた。
しかしながら、最近対岸の火事であったはずが火の粉が飛んできたり熱い風が吹いてきたりする様々な騒動のおかげで色々思う所もあり、思い切ってコメントした。私がそのブログ主をどう思っているのかをどうしても伝えたかったからだ。
そしてやっぱりお返事を下さって恐縮すると同時に、とてもとても嬉しかった。宙に浮きそうなくらい嬉しかった。書いて良かった。
本来の語用を良く知らないうえで、あえてこんな言葉を引用するのもとても失礼に当たるような気もするけど、青二才の言う事なのでなにとぞ御容赦くだされということで、「汝の人格および他のすべての人格の内に存する人間性を、つねに同時に目的として扱い、決して単に手段として扱わないように行為せよ」というカント先生の言葉をとても意識する近頃である。

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