星を見て穴に落ちたくない。と思った洋風野点

アウグスティヌス『告白』の感想を書くためにメモを見ながらちょっと読み返していたのだが、それだけでとても感動した。
例え世界に醜く見るに堪えない人間がいるとしても、いちいちそんな者に関わって心を煩わせる価値は無いし目を向ける時間さえ惜しい。例え書物であっても彼のような偉大な精神に触れる事の方が遥かに有意義で楽しい事であろう。
昼過ぎから今年初めてと言ってももう春やけどのカフェ土偶に出かける。
道中、車でアルバン・ベルグ・カルテットの弦楽四重奏を聴く。ベートーヴェンの弦楽四重奏15番の孤独感と透明感に彩られた静かな至福感が、狂咲く桜のトンネルと化した道路と相まってなんとも強烈な勢いで迫ってくる。
車で走りながら、田んぼの方を向いて路側帯に腰掛けて座りながら楽しそうに喋るギャル三人組を見て「今年のイネの出来具合はどうだろうっぺな?」「良くでけて欲しいだなぁ」「んだんだ」などと台詞を当てはめて遊ぶ。


コールマンのガソリンバーナーでお湯を沸かして牛乳を温め、コーヒとココアを飲みながら山を眺め湖を眺めワッフルの欠片の味見をするアリを眺めダイビングを繰り返すカイツブリ(たぶん)を眺めながらプリンをスプーンで口に運び、ワッフルに噛り付き、マシュマロを火で炙ってを食べる。
日差しは暖かく空は青く湖は凪いで、周りにはカイツブリやアリしかいない。
暖かい陽気に包まれた本当の意味でのオープンカフェとも言えるけど、実際はただ野外でお茶しているだけである。それらしく言えば「洋風野点」ということになろうか。しかし、何とも言えないくらいに気分が良かった。皆も「カフェ土偶」改め「洋風野点」に招待したいなぁと思った。
世や人の矮小さやら醜さに触れて心が荒みそうになったら、書物の中の偉大で真摯な魂や、美しく気高い音楽や、自然の雄大で凛々しい様に触れると何とも気分が晴れてくる。世界も人間も肯定する価値があると思えて来る。
我々の周りには醜いものも多いけど、星空を見上げるまでも無く、すぐ近くに美しいものはたくさんある。
夜空に星を眺めながら歩いていて穴に落ちた馬鹿 哲学者がいたけど、私はそんな偉大な哲学者の抱くような高邁な目標も素質も持っていないので、真似した所で穴に落ちた上に星の事も分からずじまいで似非哲学者として終わりそうである。
「星を見て穴に落ちる」だけがタレスと同じなら、唯の足元疎馬鹿に過ぎないではないか。
私はどちらかと言うと穴に落ちないための哲学が欲しいと思った野点であった。

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