過剰摂取も無駄遣い
2008年4月14日
仕事帰りにお好み焼きを食べて、その後にスタバでコーヒーを飲んだ。
一日が終わろうとするところに、更に半日分くらいの有意義さは加わった気分。
久しぶりに飲んだスタバのコーヒはやっぱり美味しかった。店の雰囲気とかカップとか調度品ではなくコーヒの味のみで勝負しようとする意気込みは中々潔いと思う。しかし、一点集中で勝負するほどのレベルなのか?そこで負けてしまったらどうするのだろう?などと要らぬ心配をしたりもする。
外食する機会が劇的に多くなって摂取カロリーが増大したせいか、それとも冬眠明けの小動物のようにやたらと食物を摂取するせいか、最近なんだか太って来たような気がする。
情報というものは多ければ多いほど良いと言うものではない。というのはこの業界の常識であろう。
私にとって何の関わりも興味も持て無い情報は知るだけ無駄である。この歳になれば、ある程度何がこの先自分に関わりがあり何が自分に関わりがないか、或いは又、何と関わり何と関わるべきではないかのおおよその目安がつくはずだ。
人間の記憶や処理の能力は有限であるから、自分に関わりの無い事を情報として自分の脳に処理させるのは無駄であろうと思う。
時間的な意味でも空間的な意味でも精神的な意味でも、どうでも良い事に自分を費やす時間があれば、もっと、自分にとって有意義であろう(と思われる)事にちゃんとエネルギーを使いたいものだと思った。