映画:「青い珊瑚礁」 / 意外にグッと来る所帯じみた楽園系漂流記、あるいは思考実験

amazon ASIN-B00174W92U年末年始に見た映画、多分最後はブルック・シールズが出ている「青い珊瑚礁」(1980)である。
毎日毎日あまりにも寒くて、海と南国が見たくなり、そういえば某氏が紹介していたなぁ。という事で観た。
難破した船から少年と少女が無人島に流れ着き、無人島ですくすくと美しく育った二人はやがて結ばれてうんたらかんたらといういうのがストーリーの大筋である。
その紹介していた某氏もストーリーもクソもあったもんじゃないひたすら開放的な南国系ハダカ映画だ的なことを言っていたこともあり、見る前は私もアイドル映画の一種だと思っていたのだが…
いやしかし、青年が魚を採るために作る銛が「パラライザー」という形状の、岩を突いても壊れにくい上に魚に刺さったらとても抜けにくく傷も少ない、大物は突けないけど小物を突くには最適の故障の少ない銛先だったり、ブルック・シールズがタイドプールで踏んで死にそうなほど寝込む魚がちゃんと猛毒を持つオニダルマオコゼだったりとなかなか細かくちゃんと作ってある。
それに何より、ちゃんと観ていると意外に随所でグッと来るものがあった。


青年期を迎えた少年は自らの中から湧き上がる、性だとか死だとか生だとか愛だとかの暗い根源的な問いを芽生えさせて一人で考えて悩んでゆく。「南国系ハダカアイドル映画」だと思って観ていてまさかそんな展開になるとは夢にも思わずビックリした。
照りつける強い日差しの中、青い海の白い砂浜に横たわる、子供時代の親代わりであった人の白骨を前にして、一瞬にして誰もが行き着く先としての「死」を悟るシーンはなかな良かった。
夏と海と死と性の溶け合ったコントラストはとても甘美である。北野武の「ソナチネ」的なクオリア満開である。
そして、あれだけ島を出るのを望んでいた青年が、救助に来た船をスルーして子供を抱いて妻の手を引いて無人島の奥に戻ってゆくあたりがグッと来る最高潮であるのだが、しかしそこにいたるまでの青年とブルック・シールズが初めて結ばれた後からの展開が「お前らは付き合いたての大学生カップルか」と突っ込みたくなるくらいに所帯じみていてちょっと笑った。
南国の無人島での所帯じみた物語ってのはちょっと珍しいに違いない。
ギリギリのラインで必死にサバイバルする無人島での漂流記ではなく、楽園としての無人島でなに不自由なく生きている「楽園系漂流記」とも言うべき設定にしたからこそ人間そのものを描けた部分が大いにあるように思う。
根源的な問いを問うには、まずある程度の生存の保障が必要なのだと。
そういう意味では、知識を何も与えずに自然状態で育てた男女はどう育つのか、という「思考実験」であるとも捉えられよう。
青年が「争い」についてとてもルソー的自然状態的に批判するシーンがあるのが「いかにも」という感じだ。
この「青い珊瑚礁」はネット上で見る限りエロ映画とされていることが多いようだ。この映画が公開された1980年前後、無人島に漂流していながらやたらとハイテンションな家族を描いた、この映画同様「楽園系漂流記」の「ふしぎな島のフローネ」というのをよくテレビで観ていたが、たしかに「ふしぎな島のフローネ」を見る年代の少年少女からすればさぞかしエロかっただろうことは容易に想像できる。
しかし、この年になってこの映画を観れば、この映画のエロさは余りにも健康的で限りなく爽やかなものとして映る。この映画で描かれるエロは健やかで爽やかな直球エロの原点を示すのではなかろうか。



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