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2007年12月3日

ジャン・リュック・ゴダール 「気狂いピエロ」(1965/仏 伊)

ジャン・リュック・ゴダールの1965年の映画「気狂いピエロ」を観た。
この映画は今までの映画の手法と異なった、ロケ撮影中心、同時録音、即興演出などを行う1950年代末から1960年代中盤くらいまでの「ヌーヴェルヴァーグ」なる映画運動を代表するものらしい。
確かにいわゆる娯楽としての映画とはかけ離れてる。良く言えばオリジナリティあふれるアート系、悪く言えば他人に理解出来ない自己満足。良くも悪くもフランス映画と言えば私が想像するような雰囲気であった。
本で言えばアルベール・カミュの『異邦人』とかミラン・クンデラの(チェコ人やけど…)『存在の耐えられない軽さ』と良く似た感じであろうか。
タイトルからなんかとてつもないアングラ映画を想像してたのやけど全く違った。


ネットしたり調べものしたりしながら見たので、ひたすら出てくる何処かからの引用と詩のような台詞の字幕をほとんど見ておらず、大まかなストーリしか理解出来ずに終了。
しかしながら一回目はこの映画はこういう言葉と雰囲気を楽しむねんな。というところは理解できたので今度はちゃんと観るべく二回目を再生。
でもやっぱり観ているうちにネットしたり調べものしたりしてちゃんと見る事が出来なかった。さすがに三回は観てられへんわ。これで観た事にしておこう。
この映画のヒロインでもあるアンナ・カリーナがなかなかに可愛らしかった。最初に出てきた時の髪形とシャンソンを歌う様がいい感じである。
最初の方で彼女が「"その他大勢"は悲しいわ」「それぞれ人生があったはずなのに…」「人生が物語と違うのは悲しいわ」「明確で論理的で整っていてほしい」とか言ってるけど、結局それは自分がその他大勢で無く特別な人間で、特別な人生を送り、そこには明確で論理的で整った意味を持つ物語がある。という望みを表わしているのだろう。
しかしながら、結果としてこの映画のヒロインと主人公は望んだ事の真逆である、「その他大勢」的に感情的で支離滅裂な物語とも言えない人生を送って破滅してしまうわけで、結局主人公のジャン=ポール・ベルモンドの言う「それが人生だ」てな事になるかもしれない。
ってなんじゃそら。
フランス的お国柄とも言えるような、とても感情と欲求と美を良きものとして優先するけど、常に論理的でもあろうとするような、カミュ的ななにかしらを強く感じた。
しかしながらそんな傾向は一歩間違うと、何の意味も無い感情とか欲求から大層な意味を捻り出してしてしまう事になるのやろうけど…
イヤな言い方をすると、こういった類の映画を面白かったと誉めておくと、インテリジェンスでアートな感性と知性を持ち合わせた人と言う事になるような雰囲気の映画ではあったけど、そんな部分は思ったより鼻につかなかった。
でもまぁ、とりあえず、もう一本ゴダールの映画を観てみようかな。と言う気にはなった。

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