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2008年5月12日

マノエル・ド・オリヴェイラ 「神曲 」 (1991/ポルトガル=仏)

2008年で100歳になる現役最高齢と言われるポルトガルの映画監督であるマノエル・ド・オリヴェイラが1991年に撮った映画である。
「神曲」というタイトルでダンテ・アリギエーリの同名の叙事詩とも原題が「a Divina Commedia」つーことで同じやけど、内容的には殆ど関係無いように見えた。
とある精神病院を舞台に、聖書の登場人物、アダムとイヴ、ラザロとキリストとパリサイ人、そしてドストエフスキーの『罪と罰』と『カラマーゾフの兄弟』の登場人物、ソーニャとラスコーリニコフ、イワン・カラマーゾフとアレクセイ・カラマーゾフ、そしてニーチェ風のアンチクリストな哲学者と白紙の第5福音書を持つ預言者(になりきった人物?)が登場する。
皮ジャンにジーパン姿でバイクに乗って現れるイワン・カラマーゾフが見られるというのがこの映画を観た直接の動機であるけど、映画のオープニングロールがベートーヴェンのピアノソナタの8番で始まり、本編が始まって一番最初のシーンが「ラスコーリニコフ!」とソーニャが叫ぶところでなんか妙なツボ直撃である。


ストーリーはあってないようなもので、盛り上がりも盛り下がりも無く、アダムとイヴが原罪を犯す所、ラザロの復活、『罪と罰』でラスコーリニコフが老婆とその妹を殺し、ソーニャにその殺しを告白する所、『カラ兄』でイワンがアリョーシャに大審問官の物語を方って聞かせるところなどなどが文字通りだらだら演じられ、合間合間に哲学者と預言者の論争が入ると言った感じである。
なんか真面目くさっているように見えるけどこれはドストエフスキー作品のパロディーなんやろうね。表向きのテーマは宗教や神や罪や救いと言ったところなんやろうけど、まぁそれもパロディーなんやろう。ドストエフスキー作品の名場面を映像にしたかっただけちゃうん。という気がしないでも無い。
正直に言って『罪と罰』と『カラ兄』の該当シーンをちゃんと知っていないと奴等が何をやっとるのかさっぱり分からんやろう。知ってても眠いくらいやし。
アダムを誘惑したイヴが、アダムに迫られるととたんに私は聖テレジアやと言い張りどっちにしろ「法悦」やら「恍惚」系やん。でもってアダムがそんなイヴに困惑するところが変にリアルで可笑しい。
この映画の私の中での目玉、アリョーシャに大審問官の章を聴かせるためにイワンが皮ジャンにジーパン姿でバイクに乗って現れるんやけど、アリョーシャが変なオッサンなのに比べて熱く語るイワンは妙に好青年で可笑しかった。でも米川訳でも亀山訳でも「全てが許されている」とされている部分を「全てが可能」と訳すのはいかがなものかと思った。
それに何より、パッケージ写真にもあるように、ソーニャがイメージとぴったりの上にとても可愛らしくとても良い感じであった。
邦題やと「神曲」やけど、原題の「a Divina Commedia」はダンテの同名の叙事詩から切り離して、文字通りの意味としてとらえてくれと言う事なんやろうね、つまりは「一つの神聖なる喜劇」として。この映画の終わり方も如何にも劇でした。と言わんばかりやったし。
禁断の木の実を食べるところから物語が始まって、ラスコーリニコフが大地に伏して許しを請う所で物語が終わるので、まー言いたい事はなんとなく分かるような気もするけど、まーそれもパロディーやろうね。真面目に考えたり難しく考えたらあかんと思った。
あー変な映画やったなーと言う感想でした。

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