セルゲイ・パラジャーノフ「アシク・ケリブ」(1988年) /「リアル」ではなく「シンボル」

amazon ASIN-B000657RXM以前観た「ざくろの色」と同じ監督のセルゲイ・パラジャーノフによる「アシク・ケリブ」 を観た。
「ざくろの色」は映画としての理解の範囲を超えていたので、当時の権力者たちに「理解できいないモノ」→「反体制だ!!」と糾弾され、パラジャーノフは投獄までされたが、この「アシク・ケリブ」はゴルバチョフによって自由な映画製作を許可された後の作品と言う事もあり、とても明るく希望に満ちており、随所に戦争や圧政への反発もコミカルに描かれている。
「ざくろの色」とは違い、それなりにちゃんとしたストーリがあり、
貧乏な吟遊詩人アシク・ケリブは愛する領主の娘に結婚を申し込むが、その父親に拒否される。
アシク・ケリブは絶望しつつも希望を抱き、1000日後に帰ると約束して旅に出る…
という感じの典型的な主人公の成長物語と愛の物語であろうか。
とはいえ、映画全体に流れるトーンは「ざくろの色」と同じく一般的な映画とはかけ離れている。
映画と言うよりは「映像作品」と言った方がいいかもしれない。
衣装から音楽、役柄や演技、ストーリーも台詞も全てが、一般的な映画のような「リアル」を目指しているのではなく、「シンボル」として象徴的に描かれているように見える。
この映画が映画的なものからかけ離れているからこそ、音楽や色合いが観念的なシーンによく調和している用に思えたし、だからこそ、普通の映画とは違う部分から直接的に心の深いどこかを刺激するような気がする。
「リアル」ではない「シンボル」が人の心の奥底にまで届くと、そのシンボルで象徴されるような自分の中にある何ものかが内側から揺り動かされ、そして起動させられてしまうのだ。
この不思議な映画を見ていて、お互いを信じる二人の愛と主人公の想いが心に染み、妙に心を揺さぶられた。
他人から幾ら滑稽に写ろうとも、愛と冒険は人間にとっての永遠のテーマである事を再認識したのであった。

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