雨宮処凛『自殺のコスト』 /自殺のリスク /「金がかかるから死ぬな」と言える

amazon ASIN-4872336445 雨宮処凛の『自殺のコスト』 を読んだ。
この本は2001年に発行された少々古い本であるが、人が自殺した場合に、自殺するまでにかかる費用から、残された人が幾ら払い幾ら貰うか、また、未遂してしまうとどれくらいの費用がかかってしまうのか、などといった損益計算を想像しうる限りの場合を想定して解説してある。
筆者自体が自殺未遂を何度かしているというせいか、当事者にしかわからなさそうな、なかなか細かい所まで考えられて変なリアルさがあるように思えたし、最終章の報復手段としての「いじめ自殺」の章も、著者がいじめにあっていたというだけあって中々に熱かった。
「自殺のことを考えると少し癒されてもう少し生きる気になる。」という事を繰り返しながら生きているうちになんとなく生き残ってしまい、その事から得た知識を一つの方向性で集めて本にしてみました。という雰囲気が漂っていた。本全体に漂うちょっとした面白おかしいトーンが不思議な感じである。
自殺者が好んで選択したがる手段というのは、たいてい生き残ってしまうことが多いうえに、結局というか、やっぱりというか、自殺というのは思っている以上にとてもリスクの高い行為であることが結論されている。不幸にも、あるいは幸運にも、死に切れずに生き残ってしまったばあいのコストは尋常じゃないのにとても驚いた。


著者自身はこの本の中で自殺しろともするなとも言っていない。
しかしかつて「ミニスカ右翼」と呼ばれたもの、現在は左傾化して「ゴスロリ左翼」といういうべき立場でプレカリアート問題をばかりを扱っている彼女の現在の立ち位置からすれば、自殺で自らの人生を終えるのではなく、どんな状況でも何とか生きる残るための方向性にシフトしたことが伺えるだろう。
この本もやはり今の彼女がそうあるような方向性が感じられるし、何よりも本当に自殺未遂を潜り抜けてきてきた重みというものが感じられるように思う。
『完全自殺マニュアル』 が出版されて実際にその本を読んで死んだ人が出るに至り、社会問題みたいな扱いになって賛否両輪を巻き起こしたけど、結局こういった本は、本が意図した方向性に読者を押し流して行くのではなく、読者の中の奥深くにある最終的な結論を掘り起こして後押しするように働くのだろうと思う。
日本での2009年の自殺者数は3万2753人で、1998年以来12年連続で年間3万人を超えているらしい。
計算してみると一日に90人近く、1時間に4人か3人、20分に1人か2人死んでいる計算になる。
そう考えるとなんともクラクラするが、これは交通事故による死者数など足元にも及ばない数字である。言うまでも無く交通事故よりも自殺のほうが数倍も身近な死因である。
そう考えると、自殺というのは交通事故の数倍も身近な死のリスクとなってくるわけである。
自殺した人はあまり目に付かないけど、それは遺族が事故だとか病気だとか言って隠すから見えにくくなっているだけで、実はあの人は自殺で死んでいたということは結構あるのだと推測される。
自分は自殺するつもりが無いから自殺とは無関係というのではなく、いつまわりにいる身近な人に降りかかってくるかもしれないし、明日はわが身、と考えるほうが、統計上は正しいのである。
人が出かける時に「事故に気をつけて」の数倍「自殺に気をつけて」というべきなのである。
自殺をタブー視して触れないことよりも、身近なリスクとして考えるほうが危機回避もより容易になるのではないだろうか?
この本は実に色々な読み方が出来ると思う。
他人が他人の自殺を止めるための根拠はいくつかあるけど、この本はその根拠の一つに「金がかかるから死なないでくれ!」という理由を一つ加えたという意味だけをとっても、大きな価値があるように思う。



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