『遺書―5人の若者が残した最期の言葉』/山田花子の『自殺直前日記』の意義/死者は美化されるのか?

amazon ASIN-4344405420先日『遺書―5人の若者が残した最期の言葉』なる本を読んだ。
遺書を残して自殺した若者五人の遺書の内容、その遺書への家族による返信、自殺した当人の家族や友人のインタビュー、そして自殺に至った背景などを丁寧に取材して書いてある本であった。
この本は25歳にならない若者達ばかりの編集プロダクションverbなる集団によるもので、本文中にその編集者がやたらと前面に出てきて自己顕示するところが若々しいというか微笑ましい。
基本的には頑張って取材して頑張って書いてるところが伝わってくるのだが、絶対分からないはずの自殺寸前の心理や気持ちなどを勢いあまって小説のように書いてしまったところは、ドキュメンタリーとしてはちょっとやりすぎだろう。
取材を受けた五人の若者は、いじめを主とした原因で、うつや統合失調症のような精神状態に陥り、一線を踏み越えて自死に至っている。
いじめや過労や様々な原因で同じような状況に陥ってしまった人たちはたくさんいるだろうけど、殆どの人が自殺願望と意思を持ちながらも、その一線を踏み越えることなく生きのこっている。
しかし、そういった人たちの中のごく一部の人が、どういうわけか普通なら超えることのないその一線を、あえて自ら踏み越えてしまい、結果的に自殺を成功させてしまうわけである。
私は頭の中に想念としてしか存在していなかった「自殺」が、自らが実際に行う行為となってしまうその一線が何であるか、そしてその一線を踏み越える切欠のようなものがこの本から読み取れればと思っていたのだが…やっぱり良く分らなかった。
恐らくこの本はそういう視点や疑問や問題意識を持って書かれていないのだろう。
ただただ、この本に出てくる5人の若者は良い奴で死ぬのは惜しかった、自殺は周りをこれだけ苦しめる、ということだけが書いてあったような気がする。


amazon ASIN-4872334191そう考えてみれば、山田花子の『自殺直前日記』がなぜこれほど特定の人の心を掴んで放さないのかが判るような気がする。
『自殺直前日記』を読む限り、山田花子はとても良い奴だとは言えないし、彼女が死を選ばざるを得なかった気持ちや状況が良くわかる。決定的な自死への一線がちょっとしたタイミングと偶発性の高い状況が一致してしまう事で超えられてしまうことがとてもよくわかる。
常に自分を否定しているような人にとって『遺書―5人の若者が残した最期の言葉』に出てくる五人の若者を自分と重ね合わせることは難しいに違いない。自分は彼らほど素晴らしい人間ではない。と思うだろうから。
しかし彼らにとって、徐々に追い詰められて何かの拍子に気付いたら一線を越えてしまっていた、綺麗ごとではないリアルな人間の醜くて(と言われる)弱い部分がさらけ出された山田花子の心情はとても共感できるに違いない。
美化されない自殺者のリアルな側面を描いているという意味で、山田花子の『自殺直前日記』は、「自殺系書籍」のなかで独特の輝きで異彩を放って君臨しているのだろう。
とても美化された死者を見ることで、いかに美化されない死者が貴重で人を惹きつけるのかが良く分ったような気がするのであった。

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