『鏡の中の少女』『鏡の中の孤独』/家族問題はテュラテュララ

amazon ASIN-4087601285amazon ASIN-4087602095先日スティーブン・レベンクロンの自傷に関する二冊の本『CUTTING リストカットする少女たち』と『自傷する少女』を読んだが、今度は拒食(や過食)などの摂食障害に関する本である『鏡の中の少女』『鏡の中の孤独』の2冊を読んだ。
両編ともノンフィクションではなく小説で、『鏡の中の孤独』が『鏡の中の少女』の続編ということになっている。
著者がブレイクしたきっかけとなった『鏡の中の少女』はダンス教室に通う少女がダイエットを始めて拒食になり、心理療法を始めても余り効果が出ずにとうとう生命の危険が迫って強制入院させられ、点滴で栄養を取りながら入院生活を送りつつも心理療法を続け、ちょっとしたきっかけから治癒に向かいだし、やがて退院することになる。という所で終了している。
そして、その続編とされながらも、単体でも読めるように工夫されたらしい『鏡の中の孤独』は、退院はしたものの自己評価が余りにも低くいうえに、病的な痩せたい欲求は消えていなかった少女が、家族と暮らしながら学校に通いセラピーを続けて一進一退をくりかえし、それでも徐々に癒えてゆく様が、入院前や入院中、そして退院直後の回想シーンを織り交ぜて描かれる。という感じである。
読んでいて主人公の少女の内面のあまりの荒廃ぶりにクラクラした。外にいようが家にいようが、友人であろうが家族であろうが誰も信じられずどこでも気を抜けず、ひたすら見えない敵と戦い続ける日常は地獄以外の何物ではないだろう。
その地獄と戦う自信を持つために一人で作り出した手段である拒食が、余計にその地獄を冗長する構造になっているのは余りにも救いがたい。
自傷や摂食障害の人は真面目で勤勉で自意識が高いといわれることが多いようであるが、本来長所であるはずのそれらが連携して高い自意識で真面目に勤勉に自分自身を追い詰めてゆく様は読んでいてなんともいたたまれなかった。
そして、治療が進んできて日常生活を送れるようになっても、同じような摂食障害でやせ細っている友人を見て嫉妬し、食べ物をとらずに痩せてゆくことに安堵の混じった魅力で惹きつけられる気持ちが抜けないのがなんとも恐ろしかった。
昔「アダルトチルドレン」なる言葉が流行ったが、その時によく言われていたアルコール依存や虐待の家庭に育った人が、大人になっても知らず知らずにそういった人に魅力を感じて惹きつけられるというのが良くわからなかったが、
そういった自然と得られなかったものを求めるために「おうち」的と感じる間違った物を求めてしまう構造がとてもリアルに感じられてゾクゾクである。


この本の少女は自分の価値を「痩せている」だけに設定してそれに凝り固まって完全な孤独の中で命を懸けて突き詰めようとしたわけであるが、本来そういった内面的なところでサポートしたり警告したり導いたりするはずの家族がちゃんと機能してなかったのが根本的な原因と言えば原因ということになっている。
この小説の父母姉兄を単独で見れば悪い人間など一人もいないし、皆それぞれのやり方でその少女を愛しているのは間違いない。しかし、家族の各々が善意を持って良かれと思って精一杯営んでいた家族生活が、なにかの巡り会わせや組み合わせや咬みあわせで少女に対する機能不全家族として構成されてしまい、その一人の末っ子の少女だけを孤独に突き落としてひたすら追い詰めていってしまったということになる。
話としては拒食や過食の摂食障害の話であるけど、それは機能不全家族に追い詰められた一人がアクティングアウトとして摂食障害になったということになる。逆に言えばそうしなければ精神的に耐えられず生き残れなかったわけである。
いわば、家族全体の問題が少女一人に対して現象として噴出したということになろうか。
少女自身の一人の問題というよりも、家族の全ての問題を一人で背負って苦しんでいるのが少女であるという見方も出来るだろう。
前に読んだレベンクロンの自傷の話もやはり家族の問題が根本問題としてあった。
どちらも家族面接を切欠にして明らかに少女が治癒へ向かい、少女以外の家族どうしの関係も上手く機能しだすところが印象的に描かれている。
この少女の根本的な意味での治療は、家族が今までの少女への接し方を反省して生き方の変革の決意が必要であったし、また少女自身の家族に対する赦しも不可欠でもあった。
そして少女の治癒は家族全体の関係修繕を伴うものでもあった。
そういう意味でこの本は、摂食障害を扱った本であるけど、実は根本の所では家族の問題を扱った本ということになるかもしれない。
私から見ればこの少女の家族は機能不全の家族の部分はありながらも、とても平和で模範的で良い家族もに見える。それでもその少女の立場になって考えてみれば家族間でのいたたまれない疎外感と孤独を感じることが出来るし、拒食に至ったのも分かるように思える。
この家族でこういうことが起こりえるなら、どんな家族にもこの本の状況は起こりえるだろう。
恐らく、この事がこの本の骨子であるに違いない。
多かれ少なかれ何の問題のない家族というのは恐らくどこにも無いだろう。
機能不全家族に追い詰められるような状況におかれた人が全て自傷や摂食障害に陥るわけではもちろんない。
リストカッターになるか過剰なダイエッターになるか、ひきこもるかネトゲ廃人になるか、盗んだバイクで走り出すか裏返ってひたすら勉強に励むかは分からない。
また、別の方法でそれらを乗り越えたり華麗にスルーして一見何の問題もなく普通に生活してゆく人もあるだろう。
明らかな現象として表に出ていなくても、心の中で過去や現在の家族の問題が燻り続けているように見える人というのはとても多いように思える。
家族問題というのは恐らく誰でもが対決せざるを得ないものであり、かつ一番手ごわいものの一つであることを改めて感じさせてくれた本であった。
こういった系統の問題を扱う本は今までノンフィクションしか読まなかったけど、小説形式というのも疑似体験として中々主観的でプチ経験的な理解が出来ることが良くわかったのであった。
『鏡の中の少女』のラストシーンが入院先のルームメイトが遊んでいる所に寄せてもらおうと声をかけるところで、『鏡の中の孤独』は自分で買った服で着飾ってボーイフレンドと遊びに出かけて行くところで終わっている。
二冊とも完全に症状が癒えてしまった状態で終わっているわけではないけど、これから癒えてゆくであろうなと思わせるような希望に満ちたような終わり方をしている。
ある意味で連載途中で切られる少年誌の「まだ戦いは始まったばかりだ!」のような終わり方であるが、逆にこの方がリアリティーがある。
そして、次は少女が中年を超えて落ち着いてきたあたりからの物語を読んでみたいように思った。

2件のコメント

  • スティーブン・レベンクロン
    興味が出て来ました。探してみます。

  • ぜひぜひー
    読んでおいて損は無いっすよ。得もそんなに無いけど…

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