芦崎治『ネトゲ廃人』/私が寝ても誰も死なないこんな世の中じゃ、FF ELEVEN♪(早口で)

amazon ASIN-4903722163最近本読みスイッチが入ったようでひたすら軽い目の本を読みまくっている。
まずは、芦崎治の『ネトゲ廃人』の感想をば。
「ネトゲ廃人」は「ネットゲーム廃人」の省略で、オンラインのネットゲームにはまりすぎて廃人のようになっている人を指すネットスラング的な言葉である。
はまるといっても普通に趣味に没頭するようなイメージで想像されるものではない尋常じゃないはまりかたで、生活の最優先事項がネットゲームとなり、生活のエネルギーと時間の金銭を可能な限りネットゲームに費やし、更には自らリアルの世界を捨ててネットゲーム上で生きる生き方を選択する人たちの事を指す。
この本はおもにそういった「ネトゲ廃人」の人たちへのインタビューによって構成されている本である。
本では、夫婦で廃人になって、家にいる時の殆どを別々にPCに向かって過ごし、食事も簡単なものをPCの前でとり、会話もネトゲ経由のチャットで行い、子供は夫婦がPCに向かっている間は大人しくしている。という状況が紹介されていたが、その状況に驚く云々よりも、当人たちがどちらかと言えばその状態を楽しくて快適だと思っていることにクラクラした。


ネトゲ廃人は言ってみればアルコールやギャンブルや買い物依存と同様にネトゲ依存のある状況や段階を示しているわけで、いわゆる「XX依存症」という括りの中に当てはまってしまうだろう。
ネトゲに限らずアルコールでもギャンブルでも嗜む程度の趣味の状態ではなく、全てをそれにつぎ込んでリアルの日常生活に支障が出てくるくらいに依存してしまう事は、依存される対象ではなく、依存する人こそが何かしらの問題を抱えていると考えた方がいいのだろう。
この本を読んだ限りでは、廃人を通り越して廃神と呼ばれるほどの依存度合いの異常さと生活の崩壊っぷりをメインに書かれていたけど、何が彼らをそこまで駆り立てる原動力になったのかという所にはあまり触れられていなかったように思う。
一応この本はネットゲームの問題点を主題にしている本であるはずであるが、書かれている問題点のようなものはネットゲーム特有の問題点というよりは一般的な依存症やアディクションと呼ばれるものの問題点と大して変わらないような印象を受けた。
ネットゲーム依存は依存症として認知された歴史が浅い分だけ理解や対応が確立されていないという所なのだろう。
とはいえ、実際に読んでいてネットゲーム特有の問題点というよりは生活の全てを犠牲にしてまでも打ち込みたくなるネットゲームの魅力を感じられたので、依存対象としてのネットゲームの魅力を伝えていることにはなっているかもしれない。
本の紹介でも使われている「私が眠るとみんな死んじゃう」という言葉は中々強烈である。
現実の世界でここまで自分の力や存在が切実に早急に必要とされる状況がそれほどありえるだろうか?
「ネトゲ廃人」を正常だとは言いにくいけど、それでも余りにも過酷な現実を生きるよりもネトゲの世界で生きていることのほうが遥かに楽しくて有意義だとおもえるのはよく理解できる。
誰でもが現実で現実の自分を肯定できるわけではないし、現実に絶望しきっている人もいるだろう。そんな人がネット上で友人を作りネットの世界で冒険して生きることを選択することが間違いだとはどうしても思えない。
「私が寝ても誰も死なないこんな世の中じゃ、FF ELEVEN♪(早口で)」は突き詰めると、
「私がいなくても何の支障も無いこんな世の中じゃ…」になる。というわけですな。
まぁいずれにせよ、ネットゲームにしろアルコールにしろギャンブルにしろ、現実をメインに生きるつもりなら、趣味程度で嗜む程度のほどほどにしておくのが大事で、やりすぎはイカンという事ですな。
と、限りなく無難な人生訓でまとめるのであった…

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。

PAGE TOP