イーサン ケイニン 『宮殿泥棒』

イーサン ケイニン 『宮殿泥棒』を読んだ。
ネット上で本好きと言う本好きがそろって絶賛する柴田元幸訳の中編集。
普通の物語では決して主人公になれないような気弱で生真面目な「優等生タイプ」を描く四篇が収められている。
真面目一筋でそこそこの成功を収めた男が大成功を収めた幼馴染と会って心が揺れ動く様を描いた「会計士」、数学の天才で大人たちを煙に巻く兄を持つ、そこそこ優秀な弟の話である「バートルシャーグとセレレム」、会社の上司に妻を奪われて息子も自分を超えてしまったと実感する真っ直ぐ生きてきた男の悲哀を描く「傷心の街」、友人だと思っていた男に裏切られて職を追われた名門高校の堅物教師が、過去の受け持ちの不良少年をめぐる教育上の立場を回想し、老齢を迎えて再びその不良少年に翻弄される様を描いた「宮殿泥棒」
確かに渋いとしか言いようが無いし、職業的文筆家の力というものをつくづく感じた。みんなの言うように文句無く面白い。
特に、自分の世代的なポジションを理解して、若ぶったり若いつもりであると思うことを恥じ、色々なことを諦めるのに半ばほっとしつつも寂しく思うようになった今読むと変なところにヒットする。


amazon ASIN-416316720X訳者である柴田元幸は「あとがき」でこの本の中には「人格は宿命である」「人は変われない」というテーマが貫かれている。と言うようなことを言っていたけど、確かにこれらの物語の主人公たちは変わりたくても変われない悲哀と、変われなくてもまぁ幸せはあるか。という思いを抱いているように見える。
変わりたくても変われず、それでもちょっとした事に幸せを感じて満足してしまいそうになる自分の凡庸さが腹立たしくも哀しく愛らしくもある。
そんなよく理解できる感覚を見事に描いていた。
結局この本はそういう人たちを勇気付けるつもりなのか、冷や水を浴びせかけてるのか良く分らんかった。
というか、それは俺の受け取り方次第なんやなと。

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