G・ガルシア=マルケス 『愛その他の悪霊について』

ガブリエル・ガルシア=マルケス『愛その他の悪霊について』を読んだ。

愛は成就されず、成就されるのは愛でないものばかり。十二月の最初の日曜日、十二歳になる侯爵のひとり娘シエルバ・マリアは、市場で、額に白い斑点のある灰色の犬に咬まれた。背丈よりも長い髪の野性の少女は、やがて狂乱する。狂犬病なのか、悪魔にとり憑かれたのか。抑圧された世界に蠢く人々の鬱屈した葛藤を、独特の豊饒なエピソードで描いた、十八世紀半ば、ラテンアメリカ植民地時代のカルタヘーナの物語。

とアマゾンでは紹介されている。
死後も伸び続ける22メートル11センチの髪を持つ少女の頭蓋骨、死人を還して寿命を延ばす薬を開発し、死の日時を予言して古典ラテン語で思考する医者。とマジックリアリズム全開の物語で、これぞラテンアメリカ文学と言う感じ。
奴隷制度が横行し、異端裁判の嵐が吹き荒れる時代のいかにも怪しげで胡散臭さげな雰囲気が何ともいい。
扉に引用されたトマス・アクィナスの「髪の毛は、体の他の部分よりもずっと生き返りにくいもののようだ。」という言葉がそんな雰囲気をなんとも盛り上げている。
カトリックでは聖人とされているスコラ哲学者の言葉であると言うところがまた何とも良い。


amazon ASIN-4105090070愛というもんによって人はどれだけ変わってしまうかというところで、娘の父である伯爵、娘を愛する修道士デラウラ、そしてデラウラを愛するようになる娘の三人が詳細に描かれるわけやけど、伯爵は娘を修道院に入れてしまったショックでおかしくなってハゲタカに喰われて死に、悪魔を祓いに近づいたはずの少女を好きになってしまった修道士は異端と悪魔に屈服した烙印を捺され、修道士から引き離された少女は半狂乱になって典型的な悪魔憑きに見えるようになる。
結局「愛に燃えた」状態がはたから見れば「悪魔憑き」にしか見えないと言う事と言う事になるし、また、そんな彼らを断罪する狂信的な司祭や修道院長も何かに「憑かれている」点では彼らと変わる事はないように見えるわけである。
その他にも、娘を憎み男奴隷を侍らせるも醜くなって男奴隷にすら逃げられて絶望して酒に溺れる伯爵夫人、同僚を二人刺し殺して人殺しの自由と信仰を両立させる修道女など、何か悪霊に取り付かれているとしか思えない人物がふんだんである。
『愛その他の悪霊について』で描かれる、「愛」を筆頭にしたその他色々な「悪霊」が飛び回って人に悪さをする時代は現代に比べれば確かにわかりやすいといえばわかりやすい。
しかしながら、「愛は悪霊である」とか口を滑らせると、いつの世でもどえらい目にあわされるてのもわかりやすい話ではある。
と、この時代なら異端でかつ悪魔憑きのレッテルを貼られるであろう土偶は思うのであった。
当然「ルサンチマン」も悪霊の一種である事は間違いないけど、あー現代に生まれてよかった。あーはんぱねぇ。

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