J.M. クッツェー 『ペテルブルグの文豪』

J.M. クッツェーが1994年に書いた『ペテルブルグの文豪』を読了した。
「ペテルブルグの文豪」とはドストエフスキーのことを指しており、読む前は彼の伝記的な小説やと思ったのやけど全くそうではなく、どちらかというとクッツェー自身の投影にペテルブルグのドストエフスキーと言う設定を与えているだけのようだ。
義理の息子が自殺したと言う報を受けたドストエフスキーがペテルブルグに赴いて、彼の住んでいた下宿で暮らし始める。
愛する息子が死んだ事実を受け入れられず、息子のスーツを着てうろつき回り、息子が死んでいない証拠と、息子が蘇る手段を必死で探す。
息子が胡散臭い革命運動に参加していた事を知り、革命運動家、下宿先の母娘、そして警察に押収されていたものの返却されて来た息子の書き物を通して息子を追体験しようとするだけでなく、息子の変わりに彼の参加していた革命運動を反故にしようとし、息子の変わりに子供を残そうとし、息子の日記の続きを書き、息子の人生の続きを生きようとする姿は何とも痛ましい。
ペテルブルグと言う土地柄に何とも似合った、湿って凍えた暗雲立ち込める灰色の暗いトーンが全編を支配している。
絶対ありえない奇跡にたどり着く事を期待して、不毛に同じところを堂々巡りする、暗くて行き場の無い息詰まるようなこんな思考は、クッツェー自身が経験した「息子を二十歳で自殺によって失う」事に対する彼なりのスタンスなのかもしれない。
これは読むのが中々しんどかった。


amazon ASIN-4582302254この物語は架空のドストエフスキーの物語という殻を被った、クッツェー自身の「息子を二十歳で自殺によって失う」経験に対する物語である事は間違いないと思う。
一歩引いて言えば、「どうしても受け入れたくない喪失に対峙した時の物語」ともいえるだろう。
クッツェーが史上最も偉大なロシアの小説家の一人であるドストエフスキーに対してこのような役柄を割り当てたのは、「失ったことを悼むのは決まりであって、例外ではない」と言うように、こういった状況に陥った場合にこういった暗い無限ループに陥るといった状況は誰でもに平等に起こりえる事だからであろうし、クッツェー同様に彼も小説家であり、物語を物語る事によってどこかしらに行き着こうとする人種でもあるということではないだろうか?
「これはたとえ話ではない、物語なんだ。物語というのは他の人々に関する話だ。その中に君自身の場所を探す必要は無いんだ。」と言うようにクッツエー自身は自分の体験をドストエフスキーに投影し、他人の物語としてどこかにたどり着こうとしたのではないか。
この物語の最後で主人公は「パーヴェルは死んでよかったのかもしれないという思いが、初めて彼に生じる。そういう考えを持った今、彼はそれを否定することなく、真正面からそれに向かいあう。」という思いを持つ。
愛する息子を死んでよかったと思えるようになるのがどのようなものなのかを想像する事はできないけど、少なくとも私には理解できない到達点の一つではあるのだろうし、様々な矛盾と混沌が一つの形を取った概念のようにも見える。
物語の中でこの苦しみを通り過ぎたドストエフスキーはやがて『カラマーゾフの兄弟』を書く事になる。その事がクッツェーにとって何かしらの救いに見える事くらいは私にも理解できる。
誰も私を好きになってくれない。ふられてばかりで悲しすぎる。などと自分を愛の殉教者のようにのたまう御仁は、愛ゆえに理性を保ちながらも狂気の淵に自ら飛び込む主人公が登場するこの物語を読んで頭を冷やすのが良かろう。

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