ミゲル・デ・セルバンテス『新訳 ドン・キホーテ 後編』

ミゲル・デ・セルバンテス『新訳 ドン・キホーテ 後編』を読了。
前編が出てから10年後に出版されたこの後編は、前編で家に連れ帰られたドン・キホーテが再びサンチョ・パンサと共に旅に出る話であるが、前編を読んでドン・キホーテ主従を知っている人が作中に沢山現れるという構造をなし、当時出回ってた続編が偽物であることを知らしめようとするセルバンテスの意図も多分に含まれている。
物語の殆どはその前編のファンである公爵夫妻のドン・キホーテ主従に対する手の込んだ悪戯の顛末を述べている印象があり、文中で言うような「ドン・キホーテ沙汰」つまりは「お笑い騎士道物語」は益々酷くなるばかり。
この後編でも前編同様にドン・キホーテとサンチョ・パンサは相変わらずのキャラクターやけど、前編にくらべて狂気の部分よりもその裏返しでもある純粋で高潔な部分が目立っており、前編とはだいぶ違う印象を受ける。


amazon ASIN-4000241117ハムレットでポローニアスが息子の留学に際して述べる、かの有名な訓戒のような、領主になろうとするサンチョへのドン・キホーテの言葉と手紙はもちろん、ネタでも領主になったサンチョ・パンサのお裁きと統治の見事さと、躍起になってドン・キホーテを愚弄して遊ぶ公爵夫妻の狂いっぷりはドン・キホーテ主従のまともさを引き立てている。
公爵夫人のお付の老女ドニャ・ロドリーゲスとその娘がドン・キホーテに本気で遍歴の騎士として助力を請うに至ってはネタがネタで無くなったとしか言いようが無く、ある意味では公爵夫妻を代表する愚弄に対しての騎士道精神の勝利とも言えるだろう。
結局、ドン・キホーテは果し合いで敗北を喫して郷里へと帰り、病の床で死を迎えるわけやけど、彼が死に際して騎士道物語を否定してそれに取り付かれた自分を反省してドン・キホーテではなくアロンソ・キハーノとして死のうとする様は何とも痛ましいし、私自身は思いもよらん展開にちょっとびっくりした。
彼が普段は立派で頭脳明晰な郷士であるにも関わらず、話が騎士道に及ぶと狂気に陥るといわれていた事が示すように、彼は騎士道を奉じていたから立派だったのではなく、彼自身が立派だったから立派だっのは言うまでも無い事やけど、最後の最後で自分の考えをひっくり返したドン・キホーテが否定したのは、自分ではなくただ騎士道であり、自分の信奉するのが騎士道精神でなければこんな無様な事にならず、もっと世の役に立ったであろうかという思いがあったのかもしれない。
セルバンテス自体は架空の著者シデ・ハメーテの口を借りて遍歴の騎士たちが演じた騎士道物語の愚かさを知らしめて嘲笑する為にこの物語を書いたといい、事実『ドン・キホーテ』以後には時代の流れもあって騎士道物語は下火になったらしい。
この物語の最後の最後で、世に贋作が出回ったように後世の誰かがドン・キホーテを復活させないが為に彼を殺し、「ドン・キホーテはただただわたしのために生まれ、わたしはドン・キホーテのために生まれたのだ。彼が行動し、わたしがそれを記述することによりわたしたち二人だけが一心同体になれる」と作者が述べる箇所は素直に感動した。
こういう自分のための物語を書き、それが世に浸透するのは小説家冥利に尽きるんやろうなと思う。
参考サイト:
ウィキペディア :ドン・キホーテ
ウィキペディア :ミゲル・デ・セルバンテス
2ちゃんねる:文学板「【ドン】ミゲル・デ・セルバンテス【キホーテ】」スレッド

1件のコメント

  • 20世紀英語圏小説トップ100

     何だかんだで更新してる気がする一斗ですコンバンワ。
     今回は98年にラドクリフ・パブリッシングが発表した、list of the century’s …

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