岡田 暁生 『西洋音楽史―「クラシック」の黄昏』

寝る前にちょっと読みを繰り返す事数日で半分を、お風呂で半身浴しながら残り半分を読んだ。
著者は19~20世紀音楽が専門の、現在は京都大学人文科学研究所の助教授である。書いた論文のタイトルを見る限り、リヒャルト・シュトラウスやオペラが好きなようだ。
本のコンセプトとしては「まえがき」にあるように音楽の素養が全くない人でも平素に読み通すことの出来る、作曲家個人や個々の作品には深く立ち入らない、当時の時代と音楽のかかわりに重点を置いた「クラシック音楽」の通史という事になる。
時代で言えば中世のグレゴリオ聖歌からルネサンスを経てバロックへ、ウィーン古典派から啓蒙派に至り、ロマン派の19世紀から20世紀の現代音楽へと至る歴史なのだが、この本の一つの特徴として著者の個人的で主観的な見方で歴史を語る。という点である。
例えば、作曲される芸術音楽としての古典的な「クラシック」は20世紀にいたってモダンジャズがその役目を肩代わりし、いわゆるポピュラー音楽はロマン派の系譜を受け継いでいる。という部分は恐らく正当なクラシック音楽史ではないやろうけど、時代と音楽の対比という観点からの見方からすればなるほどというところである。
西洋音楽史の本といえば読むだけでも一苦労のかなり分厚いようなものか、特定の作曲家か特定の時代を中心に書かれた、それなりに気合をいれて勉強するつもりのような読者層をターゲットにした専門書のようなものをイメージするけど、新書ということもあって手軽に「通史」を駆け抜けられるこの本はお徳ではないだろうか。


amazon ASIN-4121018168ジョヴァンニ・ガブリエリやアントニオ・ヴィヴァルディを聞けば、うんバロックって感じがするけど、音楽の父であるヨハン・セバスティアン・バッハがバロックを代表する作曲家と呼ばれるのに感じていた違和感は、「過剰な真珠」を意味するいわゆる「バロック」とは思えないバッハの渋地味さ所以であった。
しかしこれはバロックの中心となったフランス、イタリア、スペインのカトリック文化圏と、バッハの属するプロテスタント文化圏が全く違う性質を持っていた所以である、というところで非常に納得がいった。
土偶が好きなヨハネス・オケゲム、ジョスカン・デ・プレなどのルネサンスのフランドル楽派の楽曲、後期古典派からロマン派への兆しとなったのベートーヴェン。
最近好きになりつつあるバッハとモーツァルトのオペラ。
なんか統一性がないように思ってたけど、それなりに共通するところがあるなぁとこの本を読んで思った。
個人というものはその生きた時代を抜きには絶対に語れないし、時代精神は個人を通して象徴されるものでもある。
歴史の流れにある特定の時代精神を体現する特定の個人に特別な思い入れを抱くという事は、その時代精神に応じた何物かに思い入れを抱いている事でもあるし、そこで歴史を通して個人としての自分を考える事が出来る。
そんな感覚を音楽の歴史を通して呼び起こされたような気がした。
2007/2/21 トラックバック頂きましたので、こちらからも差し上げます。

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