田辺 保 『パスカル―痛みとともに生きる』

amazon ASIN-4582851630田辺保『パスカル -痛みとともに生きる』を読んだ。
パスカルといえば、「人間は考える葦である」と言った事でおなじみの思想家の側面と、「パスカルの原理」で圧力や応力の単位として現在に名を残した科学者の側面があるわけで、明らかに早熟の天才であった。
とまぁそこまではこの本を読むまでは知っていて、才気に満ち溢れた天才の言う事は俺にあんまり関わりはないやろうなぁ。と思っていたけど「痛みとともに生きる」のサブタイトルに何か感じるところがあり、思わず読む事に決めてしまった。
で、この本は思想家であり科学者でもあるブレーズ・パスカルの、思想家としての入門書に位置づけられるのやろうけど、前半はパスカルの生涯について、後半は彼の遺稿集である『パンセ』についてという構成になっていた。
しかしながら、これはとても大事で稀有で尊い事やと思うけど、彼の思想がそのまま彼自身をあらわしているわけで、『パンセ』についての話もそのまま彼についての話となるわけである。


生涯病苦に苛まれて40歳で死ぬ事になった彼にとって「痛み」はあまりに身近な存在であり、世界は痛みと苦しみでしかなかった。彼にとって世界は苦であるという前提と視点からこの本は展開される。
彼自身が「哲学を嘲笑するものこそ、真に哲学者である」というように厳密に言えば彼は哲学者であるというよりは宗教者であった。本の後半は宗教者としての宗教と信仰の話に終始するけど、苦でしかない世界から救いを得ようと、科学者としての地位や名声を捨てて宗教者となった彼の言葉はとても重みがあるし正直感動する。
彼が信仰について、自分の不信に対する対策として、デカルト的な動物機械論を元にしたように、信じているかのように振舞っているうちに信じるようになる。というくだりはとても感心した。
他にも書きたい事はたくさんあるけど、どちらかと言うと『パンセ』からの引用の部分になり、この本自体の感想ではなくなってしまうので控えておく。
それらは『パンセ』を読んだ跡に書こうと思う。
この本の著者のパスカルへの愛と、パスカルの苦しみの軌跡を現代に適用させようとする最終部での試みはとても好感を持てた。
信仰であるとか救いとか言う事を自分の問題として身近に感じている人はとても興味深く読めるだろうと思う。

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