ドストエフスキー 『カラマーゾフの兄弟 1~5』 亀山郁夫訳 光文社古典新訳文庫

amazon ASIN-4334751067amazon ASIN-4334751334以前から事あるごとに読み直している『カラ兄』を光文社古典新訳文庫から出た亀山郁夫訳の新訳で結構な時間をかけて読んだ。もう何度目か分からん。
難解で長大な小説というイメージの『カラ兄』やけど、新しく出たこの新訳は今までの訳に無い読みやすさということで各メディアがこぞって取り上げ、各批評筋もそろって絶賛して、売れに売れて古典文学では異例のベストセラーになった。
評判をそこかしこから聞くにつれ『カラ兄』フェチの土偶としては是非とも読みたいなぁと思っていたのやけど、やっとこさ読む事が出来た。
訳出するにあたってのコンセプトは「流れ、勢いを損なわない」ということらしく、確かに物語のストーリー展開を重視したようなスピード感のある『カラ兄』だった。以前にこのブログで『カラ兄』については書いたので、ここでは『カラ兄』自体についてではなくこの亀山訳について書いてみたいと思う。


この訳はとても読みやすいという評判やったけど、私が今まで読んできた米川正夫訳と比べてこれが特に読みやすいとも思わなかった。
逆に言うと米川訳を読みにくいと思わないという事やけど、でもそれは私自身がある程度ロシア文学に慣れていてロシア文化とロシア文学の癖をある程度理解しているからこそであろう。
亀山訳はロシア文学で大抵最初に躓く、同じ人物に対する何通りもの呼び名と分かりにくい愛称を、本名やら愛称やら父称やらの何通りもの呼び方をなるべく1つにして分かりやすくする気遣いもなされているらしく、ロシア文学独特の他のごく普通の小説では躓きようの無い部分をなるべくそうならないようにしてあり、ロシア文学に親しみの無い人にとってもそのあたりでも読みやすさがあったのだろう。
本の構成としては1から4章までとエピローグが独立して一冊づつの5巻構成になっているのやけど、それぞれ1から4章までの各巻の解説は今までにありがちな重厚な問題に対する学術的な解説というよりは、『カラ兄』を物語として楽しむための当時のロシア文化案内的なところや当時の社会情勢の解説が多かった。例えばロシアの通貨単位から物価、モークロエで散在したといわれる3000ルーブルを現在の物価に直した額など、中々に良い感じであった。この解説のおかげでとても楽しく『カラ兄』が読めるだろう。
しかし、驚くべきはエピローグの5巻で、エピローグ自体の内容は前半40ページほどで、残りの300ページ超は訳者による各巻の解題・作品解説といった文章である。
ドストエフスキーの名を冠した本の360ページほどのうち9割近くがドストエフスキーではない訳者の文章であるという、かなり驚かされた構成やけど、中々に読み応えがあって面白かったのでそれはそれでとても良かった。もうこんな読ませ方は殆ど騙まし討ちやけど、こうでもして読まされる価値は十分にあるだろう。ドスト氏のポリフォニー性の話と、アリョーシャの悪魔性の話が面白かった。勢い余り過ぎて書かれなかった未完部分の第2部を予想しているのはちょっとやりすぎやんと笑いつつも『カラ兄』好きとしてはその気持ちはよーく分かる。
私が今まで読んできた『カラ兄』は米川正夫訳であったけど、それでも、いかにも重厚なロシア文学的な雰囲気が現代風になっているというくらいで、彼の訳と比べて全く違うものになっているとはとても思えなかった。全体としては大して変わらないような印象である。
それでも、当然違う点もあるわけで、一番私が違和感を覚えたのがゾシマ長老のキャラクターである。
亀山訳のゾシマ長老は妙に都会っぽい言葉遣いと雰囲気で、米川訳の田舎っぽく民衆に近い素朴で大らかな懐の広いゾシマ長老と大分違うような気がする。これは私のゾシマ長老像とかなり隔たりがあった。
後、これは訳者がアリョーシャの悪魔性を解説で書いていたので、恐らくそのニュアンスで訳しているのやろうけど、アリョーシャが天真爛漫で本当の「神の子アレクセイ」な米川訳に比べてちょっと切れ者で皮肉的なように描かれているような気がして微妙に違和感を感じた。それから米川訳で全編に漂っていた雰囲気である、私がドストエフスキー的でロシア的だと思っている、ロシアの民芸品マトリョーシカに通じるような、なんとも言いがたい回りくどくてしつこいような妙な間抜けさというかおかしみがかなり少なかったような気がする。
とはいってもその違和感もゾシマ長老は早々に死んで気にならず、アリョーシャの雰囲気にも慣れてしまった。回りくどくてしつこい間抜けさが少ないおかげでスピード感とシャープさが出ている。
以前の私のブログでも『カラ兄』を

<涙無しには読めない場面あり、もう呆れて笑うしか無い場面あり、気色悪くてぞくぞくするしかない場面あり、キスシーンすら出てこない健全さにもかかわらず、まともな奴は誰一人として出てこない、バカがバカを呼びキティーがキティーを呼ぶ至高の茶番劇『カラマーゾフの兄弟』おまけに「大審問官の章」もついてくるよ。>

という読み方をすれば、通説的な「大審問官」で表されるようなややこしいものではなく、現代にも通じる読み方が出来るだろうって書いたことがあるけど、この訳はまさにそういう読み方を目指したものであるのだろう。読みやすさというか、挫折せずに物語を楽しんで通読することに主眼を置いた訳者の意図は見事に果たされているのであろうし、古典という括りで沈んでしまいそうな『カラ兄』を再びメジャーな所に引き出した意義はとても多いだろう。
この亀山訳の『カラ兄』は最も現代に即した訳であろうし、やはり『カラ兄』やロシア文学を初めて読む人にとっては一番良いに違いないと思う。
ネット上では新訳を巡って旧訳まで巻き込んだ活発な議論がなされている。新訳の是非はそれこそ時間が結論付けることであろうけど、新訳が出ることで旧約の問題点も確かに浮かび上がっていることは良いことやし、新しい訳として何かしらの選択肢が増えることも良い事に違いない。何よりも何かしらカラ兄が話題になっていることはカラ兄フェチとしてはとても嬉しい。
最後に翻訳の話ではなく『カラ兄』そのものの話である。今までこの本をアリョーシャやゾシマ長老に着目して読むことが多かったけど、今回はイワンの色々なものに引き裂かれるがゆえの自分自身から来る辛さや苦しさをなんともいえない切迫感を持って感じた。
また、この本を読んでいる私自身がエピローグでイリューシャの運命に際して一瞬でも自分がこれだけ素晴らしい感情を抱きえた人間であった事を忘れまいとアリョーシャと共に誓い、コーリャや少年たちと共に「カラマーゾフ万歳!」を唱和することはやっぱり何かしらの確認作業であることを自覚的に意識した。
多分私はそれを再認識する為にこの本を繰り返し読んでいるような気がする。という事を今回読んで強く意識した。まさに「カラマーゾフ万歳」である。
って良く考えれば私は原卓也訳を読んでない。とりあえず読んでおかねば。
参考ページ:
亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』を検証する @ ドストエーフスキイの会

4件のコメント

  •  毎度お運びいただきありがとうございます。
    むむむ、「アムステルダム」俄然読む気が出てきました。気になる映画を片付け次第とりかかりたいと思います。
    私もMartyさんと同じく積読本が増えそうです(^_^;)…
    最近は家でレコードを聴く事も殆ど無く、ターンテーブルが回る事も余りないのですが、ご希望とあれば喜んでご紹介したいと思います。
    とは言っても、そんな大層なシステムでもないのですが…
    ではでは。

  • こんばんは。
    カラ兄の原卓也訳は、自分でもいけないなぁと思いなながらも、ちょっと流し読みだったので、再読しようと思っています。しかしながら積読本がはんぱじゃない程あるので、今はすごいスピード、といっても一日一冊程度で、読書です。
    「アムステルダム」は、後半から急に面白くなります。当初、亡くなったモリーをめぐる4人の男たちの回想録かと勝手に思っていたですが、社会的な地位を得た知識人の厭世感や孤独感が次第に明らかになっていくさまが描かれます。これは実際に読まれることをお勧めします。
    先日土偶さんがアップされていたディーヴァーの「青い虚空」(絶版)をブックオフで見つけ、買ってきました。しばらくは積読本ですが、仕事が仕事だけに、早めに読みたいと思っています。
    ところで、自己紹介に書かれていたピュアなオーディオシステムについて、大変興味があります。また紹介して下さい。
    ではでは。

  • どうもこんばんは。
    『赤と黒』もそういう話になっていたんですねぇ。と言っても、私が読んだのは岩波文庫版でかれこれ20年近く前ですので読み比べるべくもないですが。
    海外の文学は本来なら原文で読むのがベストなんでしょうが、さすがにそんな語学力は無いですし…
    でもまぁそのあたりは古典の翻訳文学の難しさであり、また面白さでもあるなぁと思います。
    カラ兄、北垣信行訳、原卓也訳と読んでおられるとは凄いですねぇ。二回、しかも別の訳で読んでおられるのなら、特にカラ兄に対して思い入れがない限りそんなに亀山訳にこだわって読まれる事も無いのでは?と思わなくも無いです。
    ああ、『アムステルダム』私も早く読みたいです(-_-;)

  • こんばんは。
    カラ兄に続いて「赤と黒」でも、新訳をめぐって誤訳ではないかという論争が出てますね。
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080608-00000914-san-soci
    ちなみに私はカラ兄は北垣信行訳で30年前に読み、その後新潮社版の全集で、原卓也訳を読んでいます。亀山訳でも読みたいとは思いますが、他に読むべき積読本があり、まだ手を出せずにいます(購入もしてません)。今日は、イアン・マキューアン「アムステルダム」を半分位まで読みました。最近は、新潮クレスト・ブックスにはまっています。

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