アントワーヌ・チボーという名の友人
昨日、終わってしまうのがとても惜しいので、あえてゆっくり読んでいる、と言っていた『チボー家の人々』の最終巻、「エピローグⅡ」をついつい勢い余って読了してしまった。
ジャックの死後の物語であるエピローグが、アントワーヌが死に至るまでの物語であるとは本当にびっくりした。
いくら、ロジェ・マルタン・デュ・ガールがアンチヒロイズムな作家だとしても、これはなんとも居たたまれない。
医者である彼が医者として自分の体を眺めて自分が死を迎えるタイミングを計っているのがなんともやりきれない。
そして、死んだアントワーヌが私と同い年であったと言う事も微妙な心境である。
彼が死を覚悟して、病院のベッドの上で死に至るまで、自分の人生から人間一般の人生、そして生と死と人間と平和と道徳について思いを巡らせて書き綴る、ほかの登場人物が皆無の、アントワーヌの日記の体裁をなした「エピローグⅡ」は余りにも圧倒的に濃い内容であった。
かのエリザベス・キューブラー・ロスが『死ぬ瞬間』の中で「死は人間的成長の最終段階」というような意味のことを言っており、それを読んでちょっとした衝撃を受けたような気がするのだが、死を目前に控えたアントワーヌは正にそういった感があった。
おれの精神がどう解きほぐしようもない矛盾にとらわれているときこそ、おれは、ともすればにげようとするほんとの《真実》にいちばん近づけたように思ったことだった。
というアントワーヌの言葉に深い共感を覚え、なぜかとても力が抜けたように自分に対して安心感を抱いた。
この「エピローグⅡ」の一冊のアントワーヌの独白で、私の今まで生きてきて問題としてきた大抵の事柄が大方言い尽くされているように思える。
つまり、逆に言えば、私が今まで抱いて頭を悩ませてきた問題などと言うものは、しょせんその程度のものだったと言う事でもある。
でも、いくら私がこう言ったところで、それは頭でわかっているだけに過ぎず、本当に実感として理解するまでは本当の意味で「しょせんその程度のもの」とは思っていないのだろうなぁとも思う。
この長い長い本を読み終わった達成感と同時に感じる寂しさは、ちょっとした卒業ブルーに近いものがある。
この長い小説が自分に与えた影響は余りにも大きいので、やっぱりちょっとした人生の区切りに様なものを感じると言う意味でも、やっぱりちょっとした卒業的なものを感じるのであった。
命をかけてきみのものなる。
という余りにも臭過ぎるジャックの台詞が余りにもしっくりきているのに「この本は絶対面白い!」と確信して読み始めて、思えば長い時間だった。