猫パンチが暴力に見えないように、雑草は遷移する。

今年もノーベル残念賞だった村上春樹の初期の作品を先日から読んでおり、今は『羊をめぐる冒険』の終盤に差し掛かったところ。

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村上春樹はこの『羊をめぐる冒険』の続編である『ダンス・ダンス・ダンス』あたりから失ったものやら隠されているものやらを「取り戻す物語」にシフトしてゆくような印象を私は持っており、彼がノーベル文学賞候補になるほどに評価されているのも、どちらかと言えばこの「取り戻す物語」の方向性であるように思える。

このノーベル文学賞候補としての村上春樹とあまり関わりのないようにみなされる、いわゆる初期三部作、『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』は「僕」と「鼠」が20代の10年ほどのあいだの「喪失の物語」と言い切ってしまってもいいだろうと思う。
この三部作ごとに「僕」と「鼠」は色々なものを失い続けてゆき、三部作の最後で「鼠」自身の存在が失われることでその「喪失」は完成するわけである。

とは言っても、「鼠」と「僕」より遥かに年上になったせいか、昔はやたらとシンパシーを抱いたはずの彼らの「喪失」がそれほど身に染みてくる事はない。
『1973年のピンボール』で鼠の苦労に対して「もっともそれはどう眺めまわしても苦労といった類のものではなかった。メロンが野菜に見えないのと同じことだ。」って書いてあったけど、
彼らの「喪失」があまり「喪失」と呼べるほどのものに見えなくなっている自分に笑える。
村上春樹風に言えば猫パンチが暴力に見えないのと同じことだな。

ふとこのブログでこの本の感想について書いたことがあるのだろうかと思って検索してみると、2006年8月17日に該当するエントリーがあった。
内容がどうこうというよりも、それが今から9年前のエントリーであると言う事に本当にびっくりした。

この9年の自分自身の変わらなさを冷静に考えると暗澹たる気持ちになるけど、それでもそれなりに、私も成長したような気もしないでもない。
それは道端に捨てられた観葉植物が枯れ、その植木鉢に生える雑草の植物相が遷移してゆく程度のものであるかもしれないけど。

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