マルクス・アウレーリウス 『自省録』
職場の新人さん歓迎会に出席するも、殆ど新人さんと喋っていない…でもまぁ出席して顔は見てもらったからええか。
「なぜ私には彼氏が出来ないのか?」と涙ながらに訴える某レディーを弄っているうちにそう言う話になり、「●●やんはそれ関係どう?」と問いかけられて「私には仏教がありますから」と手を合わせた某氏を初めて「恰好良い」と思った。
家に帰ってカフカを読むつもりが、ふと本棚の片隅で目に付いたマルクス・アウレーリウスの『自省録』を思わずぱらぱら読みしていたら変なところにクリティカルヒットした。
当時、世界で最も権力と富と名誉を身に帯びていた者の一人である、ローマ帝国五賢帝の一人の余りに謙遜で真摯な言葉が、ただの一介のおっさんである私の胸にグサグサ突き刺さる。と言うのも考えてみれば不思議な話ではある。
「実るほど頭を垂れる稲穗かな」な人こそ本当に偉大だと最近よく思う。卑屈でもなく、自己否定的でも無く頭を垂れるのは本当に難しいと思う。
そういえば昔カフカを読んでいた頃にこの本も読んでいたなぁなどと思い出す。その頃の気分や精神状態と一緒に。
そういえば、そういえば、そういえば…
この本を読んでいた頃、当時はこの本がとても好きだった。殆ど人には言わないくらいに好きだった。今になって思えば、この本が好きだと言う自分なら好きになれると思っていたふしもあったような気がする。
年を取ればこのような立派な人間になれればどれだけ良いだろうと思った。しかしながら、現実はこうである。
しかし一方で、この年になった私がこう言う状態にあったであろう事を当時予想できたであろうか。
この本を読んでいた頃の私と今の私が時間的につながっていると言うのはとても不思議なような気がする。
と同時に、2世紀ローマの哲人皇帝の文章を今も昔も読んでいる事も、考えてみればかなり不思議な話である。